約 4,593,543 件
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/864.html
204 :最果てへ向かって(1/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 01 04 ID LEyxcZKH 「発射180秒前。79、78、77……」 カウントダウンの無線交信が聞こえる。今、僕が居るのは外宇宙探査船の操縦室だ。 3分後、僕と彼女は二人、宇宙という漆黒の大海原への大航海に出るのだ。 同時多発的に打ち上げられる第二次外宇宙探査隊。 その最初の打ち上げを直前に控え、地上との無線交信も緊張感に満ちている。 無論、僕もそれは例外ではない。心臓がドクンドクンと大きな音を立てて動いているのが感じられる。 「120秒前。19、18、17……」 ……数年前に派遣された第一次探査隊は全滅した。その理由は公表されていない。 原因究明を待つべきだという意見が大半を占めていたが、結局二度目の探査が行われる事になった。 「失脚を恐れた官僚の仕業」「第一次隊は無事で、これは予算を稼ぐの嘘」なんて噂もあった。 僕にはその真偽はわからない。知る必要もない。重要なのはこの任務を成功させられるか否かなんだ。 「90秒前、89、88、87……」 カウントダウンの合成音声はただただ冷淡に発射までの時を告げる。 目線を感じて顔を横に向けると、そこにはバイザー越しに彼女の柔らかな笑顔があった。 ――大丈夫、上手くいくよ そう語りかける様な視線が僕に向いている。ただそれだけで、僕の緊張が若干和らいだ気がした。 205 :最果てへ向かって(2/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 01 45 ID LEyxcZKH 思えば僕は彼女にずっと支えられてきた。 第一次探査隊が全滅したというニュースを聞いた時、愕然とする僕を励ましてくれたのは彼女だった。 第二次探査隊の募集に真っ先に参加しようと言い出したのも彼女だった。 周囲の大反対にも粘り強く説得を重ね、前後して僕たちを襲ったストーカー騒ぎにも負けずに。 最後の方は僕よりもむしろ彼女の方が熱心だった気さえしてくる。 候補に選ばれてからの厳しい訓練に、挫けそうになった僕を叱咤激励してくれたのも彼女だ。 「ちょっと、こんなところであきらめる気? 冗談じゃない。今までの努力はどうなるの? 夢の実現は? 」 その厳しい声に何度助けられた事か。だから僕は彼女に全幅の信頼を寄せている。 彼女とならどんな事態でも乗り越えていける。そんな万能感が僕にはあった。 「発射60秒前。59、58、57……」 とうとう発射まで一分を切った。僕たちは発射前の最終チェックに追われている。 何重にも張り巡らされた管理コンピュータシステム。その全てが万全の状態を表すグリーンを示していた。 僕たちに出来るのはここまで。あとは何かに祈る事ぐらいしか出来ない。 「発射10秒前。9、8、7、メインエンジン点火」 エンジンに火が入る。周囲に響き渡る轟音。緊張の一瞬。ここまで来たらもう引き返せない。 コンピュータを、地上スタッフを、技術者達を。そして何より傍らに居る彼女を、信じるしかない。 今まで幾多の困難を乗り越えてきた僕たちなら、大丈夫だと。 「……4、3、2、1、0。リフトオフ! 」 ――この計画の第一段階にして最大の難関、地上からの打ち上げは無事成功した 206 :最果てへ向かって(3/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 02 26 ID LEyxcZKH 「コンピュータ、手動チェック、そのどちらも問題有りません。現在……」 彼女は地上基地との交信に追われている。計器パネルに目を走らせる度に短い黒髪がふわりと動く。 その重力から解き放たれた姿を見てああ、今僕は宇宙に居るんだなという事を再認識する。 と、彼女の顔が僕の方を向く。その視線は作業を止めている僕を咎めるものだ。 僕は急いでコンピュータに向きなおると、再び次の行程への準備に取り組み始めた。 この探査船は、従来までの問題点を解決した最新鋭の超光速宇宙船だ。 完全循環型のシステムは乗組員3人までのほぼ半永久的な生命維持を保障する。 巡航速度の問題を外部と内部で時間の流れを変化させるという魔法のような方法で解決した。 これは同時に乗組員の寿命による探査期間の制約も緩和する。 だがその代償として一切の無線交信が不可能になってしまう。次の交信は機内時間で一週間後だ。 その間に地球ではどれだけの時が流れているのだろうか。 社会情勢の変化によっては、知り合いが皆死んでいるという事さえ有り得るのだ。そう考えると心細くなる。 「……では準備が出来次第、巡航フェーズへと移行します。交信終了」 そして、もしかしたら最後になるかもしれない地球との交信が、終わった。 「遂に、ここまできたんだね。」 感慨深げな声に振り返ると、そこにあったのは若干苦笑い気味の笑顔だった。 「まさか本当に君とここにこれるなんて、思ってもみなかったよ。」 そう。とうとう幼い頃からの夢が現実となったのだ。 努力だけではこの場所に立つ事は出来なかった。その裏には数多くの幸運があったに違いないのだ。 僕は彼女に笑顔を返すと、画面上で返事を待つコンピュータにエンターキーで回答した。 そして、船は巡航モードに移行する。 207 :最果てへ向かって(4/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 03 12 ID LEyxcZKH シートベルトを外し、機体後方へと直線的に移動する。訓練したとはいえ無重力下での移動にはまだ不慣れだ。 分厚いドアを潜り抜けると、そこにあるのは暖色系の照明に彩られた居住スペースだ。 さらにその奥にある寝室に入り、重い防護服から着替えながらこれから一週間何をして過ごすかを考える。 病的なまでの自動化のおかげで、巡航に入ると僕たちはする事が無くなる。端的に言えば退屈だ。 もし外を見渡そうとしても、光の速度を超えているのでそこにあるのは只の漆黒だ。 ただ自分たちの健康に気を使い、なるべく怪我の無い様に生活するだけの日々。 その退屈を紛らわせる為、コンピュータ内に本や映画、音楽等のデータが大量に詰め込まれているくらいだ。 ……その中に18歳未満お断りな物も含まれている事には驚いたが。 その時、ドアが開く音がした。顔を下に向けたまま私服姿の彼女が僕に向かって飛んでくる。 彼女は無重力下での行動には不向きなスカートを履いていて、そして…… 「ふふっ」 彼女は笑っていた。最初は含み笑いだった声が徐々に大きくなりそして、 「あはっ、あははっ! あははははははは!!」 遂には哄笑へと変わった。気が狂ったかのような笑いを続けながら僕の方に突っ込んでくる。 戸惑いに固まる僕に彼女はかまわず抱きついてきて、そして……口付けた。 いきなり舌をねじ込むディープキス。情熱的に絡んでくる彼女の舌。腰に手を回されているから離れる事も出来ない。 慣性の法則に従って運動し続けた身体が壁に接触したところでようやく彼女は唇を離した。 僕らの口から零れた唾液の橋は、すぐに丸くなって換気口の方へと吸い込まれていった。 興奮と混乱で頭が真っ白な僕は彼女の、かつて見た事のない妖艶な笑みを見つめる事しか出来なかった。 208 :最果てへ向かって(5/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 04 01 ID LEyxcZKH 「あははははっ! これでやっと夢が叶ったんだ!! ここまで長かったね。うん、本当に長かった。」 途方もない違和感が僕を襲う。目の前の彼女がまるで別人のように感じられた。 「ねぇ。君とわたしの夢って、実はちょっと違うんだ。知ってた? 」 何の事だ? 現にさっき夢が叶ったって言ってたじゃないか。 「わたしの夢はね……君と二人っきりで過ごすこと。ううん、そうじゃないね。君をわたしのものにすること。」 その言葉に頭が回転を再開する。確かにここは二人きりだ。邪魔が入る余地などありはしない。 でもまさか、募集の後押しをしたり、訓練中励ましてくれたのは、全部その為だとでもいうのか……!? 「そうだよ。最初は君を何処かに監禁してしまおうと思ったんだけど、その維持を考えると現実的じゃないなって思って。 ここなら絶対に変な害虫も付かないし、何より政府公認だもんね。ぜーんぶそのためにがんばったんだよ? あのクソ教官の拷問みたいな訓練にも、セクハラ上司の厭味にも負けずにね。褒めてほしいくらいだよ」 彼女が絶対しないような言葉遣いが、快活な性格の裏に隠された黒い感情が、僕の衝撃を大きくする。 「ねぇ、何で第一次隊が全滅したのか教えてあげようか? 」 何故彼女はその理由を知っている? そう思いつつも好奇心には勝てずに首肯を返す。 「技術的には何の問題も無かったの。彼らはね、簡単に言えば孤独に押しつぶされちゃったんだ。 どんなに厳しい訓練を重ねた屈強な精神でも、報われないかもしれない任務に絶望してしまったのね」 そうだったのか……。納得すると同時に、自分もそうなってしまうのでは、という恐怖がこみ上げてくる。 「でもね、わたしたちは大丈夫。絶対に絶望なんてしない。だってここに居るのは君とわたしの二人なんだもの」 何故そう言い切れるんだ? 第一次隊だって二人ペアでの行動だったはずだ。 「偉い学者さんたちが考え付いたの。強い依存関係にある男女なら、これを乗り越えられるってね。 特に女の側が奉仕的で、独占欲強くて、周囲を傷つけることにためらわない性格が最適なんだってさ。 ストーカー騒ぎのこと覚えてる? あれはね、わたしたちに適性があるかを判断する試験官だったの。 わたし、その人達にお墨付きもらっちゃった。だからわたしたちはここにくることが出来たの。他の探査船の人達もそう。 皮肉だよね。地上では病的だって言われるような人間のほうが宇宙での生活に適してるなんて。」 209 :最果てへ向かって(6/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 04 54 ID LEyxcZKH 一気にしゃべりきった彼女はもう一度僕に口付けてくる。それは甘美で、捕らえたものを決して逃さない魔法。 腰に回していた手がズボン越しにさっきから興奮しっぱなしのソレに触れる。 情熱的に絡み合う舌が、布越しのもどかしい刺激が、僕の精神を侵していく。 永遠のようなキスが終わると、彼女は微笑みながらポケットから何かを取り出した。それは白い錠剤の詰まった小瓶だった。 「ねえ、コレ何だかわかる? コレはね、最先端の不妊薬なの。後遺障害も副作用もなしのパーフェクトなおクスリ。 でも政府のお偉いさんがこんな物は倫理に反するって大反対して結局一般に発表されなかったんだ。勿体無い話だよねぇ」 それはそうだ。そんな薬があったらみんなナマでヤり放題だ。宗教色を強めるあの国がそれを認めるとは思えない。 「でもその分こういう任務には最適なの。だから船内に特製の合成プラントまで作ってあるの。 きみの子供を産めないのは残念だけどここで子育てするのは大変だからね。人が住める星が見つかるまで我慢しなきゃ。 でも、その分妊娠なんて心配しないで思いっきりナカに出しちゃっていいんだよ。 わたしも君のアソコからせーえきがびゅくっ、びゅくっ、って出てくるのを感じたいの」 彼女の口から出てくるとは思いもしなかった卑猥な言葉。その一つ一つが、僕を昂ぶらせていく。 「だからね…………しよ?」 その一言で、僕の理性はいとも簡単に崩れ去った。今度は僕の方から口付ける。 彼女は一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに蕩けた笑顔でキスに夢中になった。 そして僕たちの顔の間に三回目の橋が渡って切れた時に、彼女は飛び切りの笑顔で僕に囁く。 「これからは、ずっと一緒だね」 ――そしてこの日から、僕たちの、僕たちだけの世界が、始まったんだ。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1847.html
712 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 22 48 ID FVc3vYTG 空の色がすっかりオレンジ色に染まった頃。 時間で言えば、5時を少し回った辺りだろうか。 体育館裏の倉庫で荷物の出し入れを行っていた俺は、ふと空を見上げながら思った。 (きれいな夕暮れだな……) 特段、夕暮れを見る事が少ないわけではない。 だが、普段放課後にはさっさと帰宅する自分にとって、学校にいながら見る夕暮れというのは、なんだか別のもののように思えた。 ホームルームが終了し、各々が鞄を手に教室を出ていく中、それに倣い帰ろうとする自分を、担任兼体育教師の森井直弥が引きとめた。 「おい、榊原」 「えーと……、何ですか?」 「お前、これから何か用事があるか? なければ手伝いを頼まれてほしいんだが……」 「今日は特に急ぎの用もありませんし、いいですよ」 「すまんな。あいにく他に暇そうな奴もいないし……じゃあついてきてくれ」 そんなやり取りがあり、自分は担任と供に体育倉庫の整理を行うことになった。 本当ならば、放課後に学校に居残ることなどしたくはないのだが、それもこのクラスでは仕方のないことだ。 自分が通っているこの学校は、普通校ながら、全員部活制という制度を取っている。 その内容は、高校入学後の4月末までに、必ずどこかの部活に入部しなければいけないというもの。 そのため、この学校の全校生徒は、基本どこかの部活に所属していなければいけないことになるのだが、俺はこれを「一人暮らしのため」という理由で断っている。 そう、俺はどこの部活にも所属していない帰宅部であり、クラスでそれは俺一人なのだ。 ただ、その全員部活制が強要されるのはあくまで最初だけだ。 入った部活を、「性に合わない」などといった理由で退部する生徒は何人もいて、自分のように理由があるわけでもなく、無所属の連中は何人もいる。 だが、残念なことに、クラスの中にはそういった生徒はいない。 結局、白羽の矢は自分に立ってしまうことになるのだ。 713 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 25 15 ID FVc3vYTG 「もう5時過ぎか……。粗方整理は終わったし、後は先生がやるから、お前は帰っていいぞ。今日はありがとうな」 「いえいえ。それでは自分はこれで」 夕焼け空を見上げつつ作業をしていると、先生から帰っていいというお達しが出た。 この場はその言葉に甘え、倉庫を後にする。 (案外早く終わったな。帰ったら何しよう……) そんな事を考えながら、校舎へと続く外廊下を歩く。 廊下にもやはり夕陽は差し込んでいて、部活動中なのだろう、生徒達の声も木霊してくる。 放課後であれば当たり前なのだろうその光景に、何故か気分が高揚していくのを感じる。 俺は、祭りを外から眺めるのが好きだ。 祭りの中心に行って盛り上げようとするでもなく、盛り上がりにまざろうとするでもなく、ただ外から眺めて満足するだけ。 昔から目立つのを避けて生きてきた為に身に付いてしまった、ある意味自分にとって仕方のない楽しみ方だった。 この場においても、放課後に部活動に励む生徒達を遠くから眺めるという自分の行動に、多少酔ってしまった部分があるのかもしれなかった。 そして、そんな事を考えながら歩いていた時だ。 彼女と初めて出会ったのは。 714 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 27 40 ID FVc3vYTG 外廊下の途中に、三人の男女がいる。 内二人は男子で、ブレザーのネクタイの色から同学年である事が分かる。 知った顔ではないので、別のクラスの生徒なのだろう。 そして、残りの一人が女子で、リボンの色からやはり同学年である事が分かる、のだが……。 俺の目はそんなものよりも、その子の髪に釘付けになっていた。 腰まで届くほどの長さを誇るその髪は、赤みがかった黒色をしていた。 地毛としても、校則という規則からしても有るまじき色だ。 しかし、俺はそれを純粋に綺麗だと思った。 それに、その女の子からは親近感というか、自分に近いような何かを感じる。 気がつけば俺の足は一歩を踏み出し、その方向は彼らの方へと向いていた。 (こういうのはあまり柄じゃないんだけど……) 本来、自分はこんな他人の間へ割って入る事などしない。 自分の存在が目立つ事へ繋がるような行為は、俺は極力避けてきたからだ。 でも、その事を振り切ってしまうぐらいに、何故か彼女の存在を、俺は酷く放っておけなかった。 歩きながら、改めて三人の状況を確認する。 男子生徒二人は、女の子を囲んで口々に話しかけている。 だが、女の子の方は俯いていて、二人の話に反応している様子はない。 そんな彼女の反応に対して、男子生徒二人は顔を曇らせている。 どうやら、楽しくお喋りをしているというわけではないようだ。 だが、かと言って、いじめがなされているような険呑な雰囲気でもない。 とはいえ、彼らを取り巻く空気が良いものであるとも思えなかった。 (何にせよ、事は穏便に済ませないと……) そう思い、俺は男子生徒二人に声をかけた。 715 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 29 48 ID FVc3vYTG 「あの、ちょっといいかな」 「ん?」 俺の声を受けて、男子生徒二人はこちらを振り向く。 自分に近い場所にいる男子は、こちらの姿を一瞥すると、もう一人に小声で話しかけた。 「お前の知ってる奴か?」 「いや、僕も知らない」 そう返事を受けると、改めてこちらを見遣り、話しかけてくる。 「なんだよ。こっちはあまり暇じゃないんだけど」 「えーと、特にそちらのやり取りに口を挟むつもりはないんだけど……」 そう前置きし、話を続ける。 「俺さっきまで森井先生を手伝って、体育倉庫の整理をやってたんだ。もう後は片づけと戸締りだけだったし、そろそろこっちに来るんじゃないかな」 「まじかよ」 二人は顔を青くする。 それもそうだろう。 森井先生は絵に描いたような熱血教師で、規則にも厳しく、多くの生徒から恐れられている。 今の彼らの状況は、周りから見ていてあまり良い気のしないものだし、声をかけられるのは確実だろう。 例えやっていることが悪い事でなくても、先生に見つからないに越したことはない。 「仕方ねえ、今日はもう帰るぞ」 「う、うん」 「じゃあな、蕗乃」 少し慌てながらも彼女に一声かけると、二人は手早く帰って行った。 「…………」 自分と『蕗乃』と呼ばれた彼女が残り、その場を沈黙だけが支配する。 蕗乃は顔を上げてこちらを見ていて、今はその全体像を確認する事ができる。 先程は俯いていて見えなかった顔は、その小柄な体に似合う、可愛らしいものだった。 それでいて、服の上から見ても分かるぐらいにスタイルは良く、美少女と評価しても申し分ないくらいだ。 (おっと、いつまでも見てるわけにはいかないな) そう思い直し、蕗乃に声をかけようする。 「えっと……」 だが、続く言葉が出てこない。 こんな時にどう言葉を掛けてよいか分からないうえ、そもそも自分は女子と話す事さえ少なかった。 どうしようという焦りが頭の中をぐるぐると回り、余計に何も浮かんでこない。 そんな折、先に言葉を発したのは蕗乃の方だった。 「助けてくれたことに関してはお礼を言います。ありがとうございました。でも…………私には、あまり関わらないで下さい」 言葉ほどにはとがっていない、弱々しい口調でそう言うと、蕗乃は踵を返して校舎へと去って行った。 (拒絶、されたんだよな。じゃあなんで……) 振り返り際の彼女の顔を、俺は確かに見ていた。 (なんで、あんなに悲しそうな顔をしてたんだろう) 716 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 34 55 ID FVc3vYTG 翌日の昼休み。 昼食のパンを購買で買い終えた俺は、教室への帰り道、昨日の男子生徒二人と廊下で出くわした。 「お前は昨日の……」 「や、やあ」 相手の言葉に対し、ぎこちない返事を返す。 まさか、昨日の今日で出くわすとは思ってもいなかった。 (さて、何を話したものか) そんな事を考えていると、あちらの方から先に話しかけてきた。 「お前って、蕗乃と付き合ってんのか? それとも、友達か何かか?」 思ってもいなかった問いが投げかけられる。 何故そんな事を聞かれるのだろうか。 (昨日仲裁役みたいなのをやったからかな? だとしても安直な考えだとは思うけど) 「いや、そんな事はないし、彼女と会うのは昨日が初めてだけど」 「まあそうだよな、あいつに彼氏なんているわけないか。そもそも、友達すらいないだろうしな」 「そうだね」 自分に話しかけてきた気の強そうな方は、詰まらなそうな顔でもう一人の線の細い方に話しかける。 (『友達すらいないだろうしな』か。とすると、昨日の事もそれに関係するのかな……) 本来ならば、関係のない自分が立ち入っていい事ではないかもしれない。 だが、 (彼女のあんな表情見たら……) 立ち入らずには、いられなかった。 「あのー、差支えなければ、昨日何の話をしていたか教えてもらってもいいかな?」 自分の言葉を聞くと、二人は顔を見合わせた。 「他のクラスの奴には関係のないことだけど、まあ隠しておく事でもないか」 「そうだね。うちのクラスの皆は知ってることだし、後々の事を考えたら、別に言っておいても悪い事ではないと思うよ」 そして、気の強そうな方が話を始める。 「あいつ、名前は『蕗乃火乃花(ふきのほのか)』って言うんだけど、入学当初から今まで、クラスの奴らと関わろうとしたことが全くないんだよ。大概どのクラスにもいつも一人でいる奴っていると思うんだが、蕗乃と比べたら全然ましだ。」 今までの事を思い出しているのか、一拍おいてから話を続ける。 「授業では自分から発表することなんかしないし、同じくクラスの話し合いとかで進んで意見する事もない。クラス委員と係りも、最後まで余ったどうでもいいような奴をやってる。それぐらいならいいんだよ、俺もそんなもんだし。だけどあいつは……」 「ほら、クラスの皆で頑張らなきゃいけない行事とかあるでしょ。文化祭のクラスでの催し物とかさ。蕗乃さんってそういうの全然やってくれようとしないんだ。僕ってクラス委員長やってるんだけど、そういうことがあるたびに蕗乃さんに言い聞かせなくちゃいけなくてさ」 苦笑しながら、線の細い方が言う。 昨日の様子から見ても、その結果は芳しくなかったのだろう。 「一人でやる仕事は真面目にやるんだけどな、皆でやる事になるとすぐ逃げ出すんだよ。昨日はいい加減その態度を改めてほしくて放課後呼び出したんだ」 「2年への進級、まあつまりクラス替えを再来月に控えた今になって言うのもどうかと思ったんだけど、今後の事を考えれば、むしろ今の方が彼女の為でしょ」 「なるほど……」 話は納得できた。 717 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 37 49 ID FVc3vYTG だが、となると昨日の自分の行動は、彼らにとって邪魔なものだったのではないだろうか。 「じゃあ、昨日は俺邪魔な事を……」 「いや、別にいいんだよ。そこまで期待してたわけじゃないし、実際あの結果だしね」 「ああ。それに森井に目を付けられても厄介だしな」 「それならよかった」 二人の返事にほっとしつつ、今の話から蕗乃火乃花について考える。 蕗乃と俺は、ある意味似ていた。 自分も、クラスでは割りと一人でいる事が多い。 彼女は人との接触を拒むことによって、自分一人でいる空間を多く作ろうとしているようだ。 それに対し自分は、目立つ行動をせず、話しかけられる機会を極力減らす事で、人と親密になる事を避けている。 どちらも、人との関わり合いを避けているのだ。 だが、蕗乃と俺が似ているのはそこまでだ。 俺は蕗乃ほど徹底してはいない。 クラスで積極的な行動こそしないが、クラス行事では目立たないながらも皆でやる事にはちゃんと従事している。 それに、少ないながらもクラスの連中たちとは話もする。 唯一人ではあるが、親友と呼べる者も存在する。 蕗乃と俺とでは、社交性という部分で大分やり方が違ったのだ。 ただ、それでも、その根底にあるものは一緒なのだろう。 そんな事を、何の根拠もないというのに、俺は納得してしまった。 「なあ、それよりもよぉ」 気の強そうな方が、俺の頭を指さしながら言う。 「昨日初めて会ったときから気になってたんだが、それって……」 蕗乃の話の最中から、二人の視線は時折自分の頭の方へ向いていた。 恐らく、尋ねたくてたまらなかったのだろう。 「ああ、これは――」 俺は何の事もなく、いつものようにその問いに答えた。 次の日。 昼休みの来訪を告げるチャイムが鳴り響いてから、既に5分ほどが経過した。 教室の中では既に大半の生徒が弁当を広げ、昼食を取っている。 自分はというと、昼食をどうするかという問題で、一人思案していた。 昨日と違い、弁当はある。 冷凍食品ばかりを詰め込んだ、非常に雑な弁当ではあるが。 問題は、一緒に昼食をとる相手がいないことだ。 小学校来からの友人であり、いつも食事を供にしている『小笠原博人』は、今は教室に居ない。 博人は部活動無所属の自分と違い、弓道部に所属している。 今日は部のミーティングがあるので、昼食を一緒にとれないとの事だった。 こういった事は今回が初めてではなく、今まではその度に教室で一人で食事をとっていた。 だが、今回は場が悪かった。 教室の隅の方に席があれば問題はなかったのだが、2月の頭に行われた席替えで、自分は見事に教室のど真ん中の席を獲得してしまったのだ。 これでは、周りがうるさいうえに、非常に肩身の狭い思いをしながら食事をしなければいけない。 かと言って、博人の他に気軽に食事を供に出来る相手は居ない。 (どうしたもんかな……。あ、そうだ) 思案の末、一つのアイデアが思い浮かぶ。 俺は弁当の入った鞄を担ぐと、そのまま教室を後にした。 目指すのは、校舎裏だ。 718 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 40 25 ID FVc3vYTG 自分が通うこの学校の校舎は、H字型に建っており、一方はグラウンドを挟んで校門と面していて、もう一方はちょっとした林と面している。 林と面している方は、そこからは外との通り抜けが出来ないので、もっぱらそこが校舎裏らと呼ばれていた。 外で昼食をとる時に使われる場所は、大体が校舎と校舎に挟まれた中庭だ。 校舎裏にも一応食事スペースはあるのだが、そこはほとんど使われていない。 林に面したその場所は、中庭ほど広くなく、更には木々や植物が多いせいか、年中じめっとしている。 その陰気な雰囲気が、多くの生徒には受けていないらしい。 そのため、昼休みを除いても、校舎裏には人が居ないのが常だった。 とはいえ、冬真っ盛りの今の季節では、中庭ですらそう人は居ない。 そして、校舎裏ならば輪をかけて誰も居ない筈だ。 この寒さの中外に出るのは多少辛い部分もあるが、以前から校舎裏のような静かで緑に囲まれた場所で、一人で食事をとるということをやってみたいと思っていた。 今がその絶好のチャンスなのだ。 一階の廊下を進み、外廊下へつながる扉を開く。 「……寒い」 外から冷え切った空気が入ってくる。 おもわず外へ出るのを躊躇ってしまうが、流石にここまで来ておいて引き返すわけにもいかない。 幸いにも今日は風が吹いていないので、幾分寒くはないだろう。 歩みを再開し、外廊下を進む。 ここを数メートル進めば、そこはもう校舎裏で、すぐそばにベンチが一つある筈だ。 今日はそこで昼食としよう。 そう考えながら、校舎裏へと辿り着いたとき、 「あっ……」 そこには、思わぬ先客が居た。 彼女はベンチの真ん中に腰を下ろし、膝の上に弁当を広げ昼食を取っていた。 寒さ対策なのか白いコートを着ていて、その白さ故、腰まで伸びる赤みがかった髪が綺麗に映えている。 それはまるで、雪上に落ちた赤い椿の花のようだった。 そう、蕗乃火乃花が居たのだ。 「あなたは……」 蕗乃も自分に気付き、箸を止める。 そして、一昨日に続き、またも沈黙が流れる。 非常に気まずい。 (これは、帰った方がいいのかな。でも、今さら戻るのもなぁ……) そう思った俺は、思い切って蕗乃にある提案を出した。 「あの、良かったら弁当一緒に食べてもいいかな?」 「えっ……」 精一杯の笑顔で、そう申し出る。 恐らく、蕗乃の目にはぎこちない笑みを浮かべる俺の顔が映っていることだろう。 そんな俺を見る蕗乃の表情は、驚きに満ちていた。 それもそうだろう。 大して知りもしないような男に、いきなりこんな事を言われたのだから。 だが、しばらく考えている様子を見せた蕗乃は「隣で良ければ」と言い、ベンチの端の方へと体をずらした。 「あ、ありがとう」 こちらも、ベンチの端へ腰を下ろす。 自分が弁当を鞄から取り出し、食事を始めるのを見届けた蕗乃は、ようやく食事を再開した。 719 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 42 48 ID FVc3vYTG 寒さの所為だけじゃない、緊張の所為も相まって、箸の動きがぎこちない。 (なんで、蕗乃さんは俺の申し出を断らなかったんだろう) ちまちまと箸を動かす蕗乃の姿を横目で眺めながら、俺はそんな事を考えていた。 校舎裏なんて所で蕗乃に出会った事ですっかり頭の中から飛んでいたが、一昨日自分は蕗乃に『関わらないで』と言われていたのだ。 昨日聞いた話からしても、ここは俺の申し出を断るのが本来の彼女の反応ではないだろうか。 (気まぐれ……ではないか。入学してからずっと人を遠ざけていたんだろうし。じゃあ一体――) 「あの、何か?」 「えっ?」 まずい、ちらちら横目で見るのが、考え事をしていた所為でガン見になっていたようだ。 蕗乃は怪訝そうな顔でこちらを見ている。 俺は取り繕うように、頭に浮かんだ事をそのまま言った。 「いや、その髪、すごく綺麗だなぁと思ってさ」 嘘は言っていない。 実際一昨日はその髪に惹かれ、そしてその髪を持つ彼女に惹かれたのだから。 蕗乃はまたも驚いた顔をすると、すぐに俯き、こう言った。 「おかしな事を言いますね、この髪が綺麗だなんて」 「そうかな? 今まで言われたことなかったの?」 「ありますよ。でも、大体の人が、私と最初に会った時に珍しがって言うだけで、あくまでその程度のものでしかないんです」 「そんな言い方をするって事は、やっぱりその髪は……」 「はい、地毛です」 「立派なものだね」 「それを言うなら貴方だって」 蕗乃は俺の髪を見ながら言う。 「紺色の髪の人間なんて、普通は居ませんよ」 「あはは……まあそうだよね」 視界にちらりと映るその前髪を右手で摘まむ。 そう、俺の髪も蕗乃と同じで、地毛にしてはありえない色をしていた。 その色は、紺。 「これも君と同じで、地毛なんだ」 「そうでしょうね。でなければ、真っ先に先生に注意されて元に戻されるでしょうから」 そう言うと、蕗乃はまた俯き、黙り込んだ。 (『この髪が』か……。その言葉からして、あまり自分の髪を好きじゃないんだろうな……) 周りに驚かれるのはもう慣れたが、自分だって、この髪を大好きであるわけではない。 だが、なんとなくではあるのだが、彼女にはその髪を嫌いになってほしくはなかった。 「でも、やっぱり俺は、その髪は綺麗だと思うよ」 蕗乃は、またか、とでも言いたげな顔でこちらを見る。 「その赤い髪、君の象徴だと思うんだ」 「私の……象徴?」 「そう、君の象徴。君を表す君自身。だからこそ、君には似合うし、君にしか似合わないと思う」 俺の言葉を聞いた蕗乃は、まるで呆けてでもいるかのように、口を開けたままの表情で固まっていた。 驚いているのだろうか。 そして自分はというと、今しがた自分が言ったことのあまりの恥ずかしさに、言ってしまってから気付いた。 「……なんて、たいして君を知らない俺が言っても何も説得力ないよね。ごめん、今のは――」 「蕗乃」 「え?」 「蕗乃火乃花です、私の名前。貴方の……名前は?」 俺の目を見つめながら、蕗乃は言う。 「俺の名前は、葵。榊原葵」 「そう、ですか……」 そう言ったきり、蕗乃はまた俯く。 その、俯いた蕗乃の頬が朱に染まっていたのは、自分の見間違いだったのだろうか。 720 :異色の御花 第1話「夕暮れの邂逅」 ◆mN6lJgAwbo :2010/09/08(水) 15 45 10 ID FVc3vYTG 結局、その後は特に会話もなく、昼食と昼休みは終わった。 だが、別れ際に「それでは、また」と蕗乃が言ってくれたが、自分は嬉しかった。 また、昼休みにお邪魔してもいいということなのだろう。 今の時刻は、7時を少し回ったところ。 買い物などで町を周っていると、すぐにこんな時間帯になってしまった。 空は既に暗く、星も瞬き始めている。 家であるアパートまでの帰途に着く中、俺は改めて今日蕗乃に言った事を思い返していた。 それは、『象徴』という言葉。 あの時は、蕗乃に自分の髪の事を嫌ってほしくなくて、あんな事を言ったが、自分にとってのこの髪……紺髪は、決していい意味での象徴ではなかった。 何故ならば……。 俺は、辺りに誰も居ない事を確認し、買い物袋を持っていない右手の手の平を見つめる。 すると、蒼白い光が僅かに走り、その後の手の平には、先程まではなかった筈の氷の塊が鎮座していた。 「こんな変な力の、象徴なんだから……」
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2221.html
814 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 10 45.86 ID Nn8VuQXE [2/9] シルバーが去ってしばらくした後、僕は大事なことに気づいた。 僕はどこで連絡を待てばいいんだ? 今いる丁子町は旅の順路から大きく外れている。 ポポの治療が終わるまではそれを言い訳に滞在できるけど、それもどれくらいかかるか分からない。 一日二日で治らない時点でよっぽど重症だったことはうかがえるが、ポケモンセンターの医療技術は異常と言ってもいいくらいだ、油断は出来ない。 治療が終わったなら順路に戻らなくてはならないわけだけど、例えば槐市や浅葱市にいたならともかく、海の向こうの丹波町にいた場合、連絡が入ってすぐに動くというのも難しくなる。 奴は僕の連絡先を知ってるけど、僕は奴の連絡先を知らない。 はあ…… 先ほど気づかなかったことに溜息が出てくる。 ……後悔しても後の祭りか。 とりあえず、ポケモンセンターに戻ろう。 「その前に、何があったのか、教えてよ」 「ポケモンセンターに戻ってから言うよ」 ベッドに腰掛け、香草さんとはぐれてから道中あったことを説明する。 「ゴールド、大丈夫なの!?」 通行所でのシルバーとの戦いのくだりで、香草さんは興奮した様子で聞いてきた。 「大丈夫だから今こうしてるんだよ」 「よかったぁ……そうよね、私ったら馬鹿みたい。ゴールドが危険な目に会ったって聞いたら頭が真っ白になっちゃって。あ、これはその……」 恥ずかしげにそう答える香草さんは、とても可愛かった。 そうして、香草さんは不安げな様子で僕の話を聞いていたが、最後まで話し終えると、はぁ、と息を吐いた。 そのまま、柔らかに僕に抱きつき、言う。 「ゴールド、その、い、生きててくれて、ありがと」 甘い香りがふわりと広がり、僕は照れくさい気持ちになった。 ガラ、とドアがスライドする音がする。 見ると、やどりさんがこちらに背を向けて、部屋から出て行くところだった。 「やどりさん、どうしたの?」 「……少し、席をっ……外す……」 彼女はか細い声でそう答えると、すたすたと去っていった。 僕はそんな彼女の様子を何も疑問に思わず、無言で見送った。 「後は香草さんも知ってのとおりだよ」 「うん、分かったわ。それでシルバーに対してあんな態度だったのね」 「……うん」 「……でもゴールド、シルバーの言うことをそのまま信用するのは……」 「分かってるって。でも、シルバーと関わればどの道ロケット団に関われるってのは間違いない。シルバーの言っていることが正しいのなら協力してロケット団を潰せばいいし、もし違うのなら、シルバーを倒してランを助けるだけだよ」 「……ゴールド、私、ゴールドが危険な目に会うのは、イヤよ……」 「大丈夫だって。……それに、もしもの時は、か、香草さんが守ってくれるんでしょ?」 恥ずかしくて二人とも顔が真っ赤になる。 「ねえ、ゴールド」 「何?」 彼女は太ももの上で落ち着かなさ気に両手を弄っている。 「そろそろ、香草さん、じゃなくて、な、名前で呼んで欲しいな」 「な、名前?」 確かに、いつもでも苗字にさん付けとは他人行儀かもしれない。 僕は誰にでも苗字にさん付けするのが基本だったから気にならなかった。 「べ、別に香草さん、って呼ばれるのが嫌って訳じゃないのよ? でも、折角だし……」 確かに、こ、恋人になったというのに、いつまでも名字にさん付けじゃ少し他人行儀かもしれない。 「そ、そうだね。じゃ、じゃあチコ……さん」 「……はぁ。さん付けはいらないのに」 「ご、ごめん」 「いいわよ。一歩前進したしね」 認めてもらえてよかった。 どうもまだ香草さんを呼び捨てにする気にはなれない。 これは今まで体に刻まれた恐怖のせい……いやいや、ただの照れと遠慮さ。きっとそうさ。 会話が途切れ、少し無言の時間が流れる。 窓の外を眺めていると、後頭部に強い視線が突き刺さりまくるのを感じる。 ここまで強い視線を感じると、多少振り返るのが怖くもある。 しかし視線責めに負け、振り返ると、香草さんは頬を染めて僕をじっと見ていた。 815 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 11 45.12 ID Nn8VuQXE [3/9] 「どうかしたの?」 「ううん……幸せだなぁって思って」 こんな素直に感情を表されると、こっちが恥ずかしくなってしまう。 「そんな、大げさだよ」 「私、ゴールドと一緒にいれるってだけで胸がどきどきして……全身が熱くなって……でもとっても幸せな気分でね……ゴールドもそう思ってくれていたらいいなぁって思うの」 「も、もちろんだよ」 「ねえゴールド……」 「な、何?」 「キ、キス、して」 香草さんはそう言って目を閉じ、真っ赤になった自分の顔を突き出してきた。 自分の顔も赤くなるのが分かる。 僕はおずおずと距離を詰め、口付けを行った。 自分の唇に、独特の弾力のあるものが当たってるのが分かる。 そのまま離れようとした僕に香草さんが抱きつき、そのままついばむようなキスを数度重ねる。 慌てて薄目を開けると、ちょうど香草さんも離れた。 瞳は潤み、顔は赤く、唇は煌いている。 ものほしそうに唇に指を当て、はあ、と熱っぽい溜息を吐いて、口の周りを舐め取った。 様子、振る舞い、どれをとっても魔力と言ってもいいような色気に溢れていた。 僕は思わず唾を飲み下す。 僕は耐え切れず、香草さんを抱きしめ、唇を貪った。 数秒後、香草さんの動きが無いのに気づいて、正気に返った僕は慌てて離れた。 「ご、ごめん!」 香草さんは呆けたような顔で僕を見ていた。 「全然いやじゃなかったよ」 そのまま柔らかな笑みを作り、言う。 僕は頭がくらくらしてきた。気が遠くなりそうだ。 まったく自分が制御できていない。今にも香草さんに襲い掛かってしまいそうだ。 普段の僕なら手を繋ぐことも照れくさく思うのに。 いったい僕はどうしてしまったんだろう。 「ゴールド……」 彼女は両手で包むように僕の手を取り、それを自分の胸に導く。 僕はなされるがままだ。 「ほら、私の胸、こんなにどきどきしてる……ゴールドのこと好き好きって言ってるよ」 確かに、香草さんの胸からはドクドクという心臓の拍動が伝わってくる。 客観的に見ればただ繰り返す単調なリズムなのに、どうしてこんなにも愛おしく思えるんだろう。 お返しに、僕も香草さんの手を取り、自分の胸に当てる。 「僕も、こんなにドキドキしてる」 「本当ね」 彼女はそういうと、そのまま顔を僕の胸にうずめた。 僕はそれを包むように抱きしめる。 そうして、しばらく彼女の体温を感じていた。 突然、ガチャリという音がして、僕達は飛び上がった。 振り返ってみると、口の開いたリュックの中身がベッドから落ちただけだった。 ただそれだけのことなのに驚いたお互いが可笑しくて、どちらともなく笑いあった。 この度が始まってから、一番穏やかな時間が流れていた。 それから数日は毎日、朝から晩までこんな様子で過ごした。 部屋でイチャイチャしたり、町でデートしたり、とにかくベタベタしていた。 やどりさんは気を使ってくれているのだろう、毎日朝早く一人でどこかへ行き、夜遅くに帰ってきた。 一週間もした頃だろうか、香草さんのデートの最中、突然ポケギアが鳴った。 表示されるのは見覚えの無い番号。 少し身構え、それに出る。 「……もしもし」 「俺だ。奴らの狙いが分かった。奴ら、古賀根街のラジオ塔を占拠するつもりだ。 「ラジオ塔だって? 何のために?」 「知るか。とにかく、そういうことだ」 「待て、詳しい打ち合わせがしたい。古賀根街で一度会えないか?」 「……難しいな」 「それを何とかするのがお前の役目だろ。まさか、無策で突っ込む気かよ」 「いけないか?」 頭を抱えたくなった。 816 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 23.57 ID Nn8VuQXE [4/9] 「いけないに決まってるだろ。まったく、お前は昔っから……とにかく、敵戦力とラジオ塔の見取り図、あとロケット団の細かい計画を調べてくれ」 「相変わらずお前は口ばっかだな」 「ブレインと言ってくれ」 「ギャハハハハハハ! ブレインはねーよ!」 そう言ってシルバーは大笑いしている。 電話を聞いてきた香草さんの眉がピクリと動くのが見えた。 ひとしきり笑った後、シルバーは苦しそうに話し出す。 「……あー、息が苦しくなるほど笑ったのは久々だ。やっぱお前面白れーわ」 「そりゃどうも」 「分かった、三日以内に古賀根街に来い。後は追って連絡する。それと、何か電話口で声を変える方法考えておいてくれ」 「声?」 「ランにお前の声を聞かれちゃまずいからな。声が違えば協力者ってことで誤魔化せるかもしれない。あ、だからって絶対に女は出すなよ? アイツ頭おかしいからな。もし俺が女と話そうものならもう手がつけられん」 なぜか電話越しのシルバーの声が急に老いたように思えた。 ……苦労してるのか。 「とにかく、そういうことで」 そう言うと、奴は一方的に電話を切った。 切れた電話を、僕はぼんやり眺める。 「ねえ……本当にやるの?」 香草さんが心配気に聞いてきた。 元々香草さんは乗り気でなかったもんな。 計画が現実味を帯びてくるにつれ、気は重くなる一方だろう。 「大丈夫だよ。ああ見えてもシルバーはできる奴なんだ」 「なら、ゴールドがいなくてもアイツ一人でいいじゃない!」 「……やっぱり放っておけないよ。昔っから考えるよりまず行動って奴だから」 「でも、ゴールドが危険な目に会うことは無いじゃない! シルバーなんかよりゴールドのほうがよっぽど大切よ!」 「香草さん、これは僕の問題でもあるんだよ。ロケット団を倒すことで、僕は過去にけりをつけたいんだ」 香草さんが悲しげに俯く。 彼女もきっと分かっているんだろう。 僕が過去に抱えている未練を。 五歳のあの日。 あんな事件さえなければ、今とはまるで違った日々があっただろう。 シルバーは家を失うこともなく、ランは親を失うこともなく。そうしてきっと今頃はシルバーとランも正式な旅の参加者で、僕とは互いにライバルとして切磋琢磨して、互いを高めあって…… でも、そんな未来は訪れなかった。 だから、ロケット団を倒すことで、過去を終わらせたいというのは僕の正直な気持ちだ。 だけど、それ以上に。 アイツは……シルバーは、ロケット団を倒したあと、どうするつもりなんだろう。 僕と同じように過去を清算して、それで先に進むのならいい。 アイツのしたことはたとえ犯罪者相手だとしても許されることではないけれど、僕はそれを裁くつもりは無い。 でも、アイツが計画を急ぐのは。 もしかしたら、アイツはロケット団相手に死ぬつもりじゃないか。 そう思えて不安なんだ。 生きて罪を償えとかそういうことじゃなく。 僕はアイツに死んでほしくなかった。 つい先日まで、自分で殺そうとしていた相手に死んで欲しくないと思うなんて滑稽かもしれないけどさ。 白々しさを覚えつつも、僕は俯く香草さんを抱きしめた。 彼女は僕により密着するように体を押し付け返してきた。 出発の準備を終えた僕は、ポポの容態を見に行った。 三日後と言われれば、今日中にはここを発ちたい。 もしポポが飛ぶことは無理でも、歩いて旅を出来る状態になければここに残しておくつもりだ。 女医さんに聞いたら、どうもまだここから動ける状態には無いらしい。 当然といえば当然だけど、少し心が痛む。 急用が出来たので一旦古賀根市に戻らなければならないといって、ポポをここにおいていく許可を取り付けた。 最後に一目彼女を見ておきたくて、看護婦さんにポポの病室まで案内してもらった。 ポポはちょうど胸まで毛布をかけて眠っていた。 彼女に直接話をしなくてすむことに、少し安心する自分が嫌になる。 817 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 58.43 ID Nn8VuQXE [5/9] 肩が覗いているので、薄い水色をした患者衣に着替えているのが分かる。 毛布の上に翼は投げ出されていて、それには白い包帯が巻かれていた。 穏やかな顔で、安らかな寝息を立てる彼女を見て、少し涙ぐみそうになる。 こんな大怪我をさせてしまった。僕は本当にトレーナー失格だ。 そして、僕はそれでもこれからまた危険な場所に自ら赴こうとしている。 大切な人を巻き込んで。 トレーナどころか人間失格だ。 それでも、僕は進みたいんだ。 ごめん、そしてさよなら、ポポ。 全部終わったら、そしたら、皆が幸せになれる、そんな未来のために尽力しよう。 そう決意し、病室を後にした。 ポポを置いていくことを告げると、香草さんは少し嬉しそうだった。 すぐにポケモンセンターを後にした僕達三人は、ただひたすらに古賀根市を目指した。 日が暮れ、次の日が昇る頃には湖に突き当たった。 相変わらず水面は穏やかだ。 「やどりさん、お願いできる?」 「うん」 水に入るやどりさんに捕まろうとしたところで、 「ちょっと待った!」 と香草さんに止められた。 「どうしたのチコさん?」 「わざわざやどりに頼る必要なんて無いわよ。見てて」 彼女はそういうと、無数の蔦を出し、編み上げて湖の上に置いた。 その上に飛び乗ると、次から次へと蔦を出し、その上を歩く形で湖の上を歩いていく。 ええ? 自分から出ている蔦の上に乗って歩く? これって物理的におかしくないか? いやでも現に歩けてるし、おかしくないのか? 「ほら、はやく」 軽く混乱状態に陥った僕の手を取り、彼女はどんどん先に進む。 いやホントにどうなってんるんだこれ。 実際に歩けていながらも、自分が歩けていることが不思議でしょうがない。 「やどりさんも、この上歩いたら?」 「……いい」 僕がそういうと、彼女は顔を半ばまで水に沈め、ぶくぶくと泡を吐きながら泳ぐ。 自分の出番を奪われて拗ねてるんだろうか。 湖を踏破すると、今度は廃墟と化した通行所に突き当たった。 瓦礫が避けられ、一応通れるようになっている。 ここの景色を見たことで、数日前の悪夢が蘇ってくる。 まったく、あの後の僕は酷い有様だった。 「ここがランと戦ったって場所ね」 香草さんの言葉に、僕は無言で頷く。 「心配しなくても、ちゃんと勝つわよ、私は」 香草さんは自信満々に笑う。 相性がよろしくないんだから少しは心配して欲しいものだ。 何せ水すら消し飛ばすような熱だ。 植物がどうなるかなんて、周囲の黒変した木々を見れば明白だ。 少し想像してしまい、背筋に悪寒が走った。 「あ、もしかして、ゴールド、具合悪いの?」 憂鬱が表情に出ていたのだろうか、香草さんは途端に不安げに顔をゆがめて僕の顔を覗き込んでくる。 「ち、違うよ。ただちょっとこのときのことを思い出していただけだよ」 「そうね、あいつらはゴールドを傷つけたんだもんね、許せない」 「チコさん!」 「あ、ご、ごめんなさい。私ったらつい熱くなっちゃって……」 そういう香草さんは強く両手を握り締めていた。 「これだから、直情馬鹿は、困る」 毒を吐くやどりさんを睨むだけで済ませたのは香草さんに余裕があるからだろうか。 「あんな役立たず共と違って、私はちゃんとゴールドを守ってあげるからね」 あ、気のせいだった。 818 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 13 51.23 ID Nn8VuQXE [6/9] しかし、ポケモンと人間の差はあるとはいえ、女の子達に守ってもらってばかりで、僕は本当に形無しだな。 ランに負けたことに関してはやどりさんも言い返せないらしく、悔しげな顔で黙っていた。 「チコさんもそんな言い方しない。それに、この辺を見れば分かるけど、彼女は本当に強いんだ。嘗めてかかっちゃ駄目だよ」 「ご、ごめんね、そんなつもりじゃ……」 おろおろと泣き出しそうになる彼女を軽く抱き、耳元で囁く。 「僕は僕より香草さんが傷つくほうがいやだよ」 ああ恥ずかしい。 しかし正直、彼女の情緒が不安定になるたびにこういう甘い台詞を吐くのも、それを受けて本当に可愛らしい反応をしてくれる香草さんを見るのも、まんざらじゃなかった。 こうしてイチャイチャしてたら槐市に着いた。 ここのポケモンセンターで一泊し、翌朝、早朝から古賀根市に向けて出発した。 香草さんはこの世のありとあらゆる全てに感謝しかねない勢いでご機嫌だが、やどりさんはもはやこの世界に朝は訪れないんじゃないかと錯覚するくらい暗い。 半ば死地に赴くのだから香草さんのテンションのほうが異常なのだが、やどりさんの低いテンションも正直なんとかしたい。 通行人がひぃっと短い悲鳴を上げていくのは多分気のせいじゃないはずだ。 夕暮れ前には古賀根市についた。 というか道中、野生のポケモンや動物に一切あわなかった。 何かよく分からない力でも働いているのか、それとも。 早々に宿を取ると、シルバーからの連絡を待った。 訂正しよう。香草さんとデートをしていた。 いやあ、のんびりするのも楽しいけど、こうやって街で遊ぶのも楽しいね。 僕は今まさに人生の春を謳歌しているよハハハ。 と、突然ポケギアが震えた。 まったく、折角のデート中に誰だよ、無粋な奴め。 苛立ちながら画面を見ると、見たことのない番号だ。 出ると、案の定シルバーだった。 そりゃシルバーならしょうがないよな。あいつはそういう奴だ。 おいおい、少しは空気ってものを読めないと女の子にもてないぜ? もちろん僕は勝者で余裕があるからその程度で目くじら立てたりしないけどさははは。 「ゴールドか?」 「ああ」 はあ。現実逃避のために少々おかしくなっていたテンションが急速に現実へと引き戻される。 「どうした? 禿げそうな声だして」 「うるさいな、どんな声だよ。それで何の用だ?」 僕は香草さんに目配せして、折角のデートが中断されたことを心の中で詫びた。 「お前が色々細かいこと言い出したから電話したんじゃねーか。それで、ちゃんと古賀根街にはついてるんだろうなあ?」 「当たり前だろ。時間が余りすぎてデートが出来るくらいだ」 「ははっ、デート? お前が? ありえねえ。相手がいねえだろ」 そう言って彼はまた大笑いしている。 「ふっ、若葉さんちのゴールドちゃんと言えばご近所でちょっとした有名人だったんだぜ? 僕の流し目一つで、女達は我が我がとお菓子を差し出して来たさ」 小さいころはかわいいかわいいと、そりゃあ持て囃されたものだ。……近所のおばちゃん方にだけど。 「すまん、その、なんつーか……悪かった」 「謝るなよ! それじゃ僕がまるで痛い人みたいじゃないか!」 「痛い人っつーか……いや、そういやお前と漫談してる暇は無いんだった」 「お前のせいだろ。つーか暇が無いって、そんなに計画は近いのか?」 「……いや、ランが、な」 シルバーの声が一気にトーンダウンする。もしかしてこれが彼が先ほど言った禿げそうな声ってやつなのか? 「……心中お察しするよ。というか、アレは何なんだ? どうしてあんなことになった?」 「俺が聞きてえ。お前幼馴染だろ、何かわかんねえのか。わかんねえだろうな、お前昔っから鈍かったからな」 「十年一緒に逃避行してて、それでもまだ分からないほど鈍い奴に言われたくねえよ」 「……お前、本当に大変だったんだぞ……大きな声じゃ言えないけどな……」 820 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 14 27.86 ID Nn8VuQXE [7/9] シルバーの声は冗談っ気の無い真剣そのもののものだったけど、僕ははっきり言って事態を甘く見ていた。 端的に言えば、ランの狂気を嘗めていた。シルバーは正気を保って生きているだけで敢闘賞ものだということを理解していなかった。 「僕だって大変だったさ。それで、計画のほうはどうなんだ?」 「ああ、お前に言われたことは大体調べた。データ化してポケギアに送っとくから細かいことは勝手に考えろ」 「出来れば会って話がしたい」 「そりゃそうだが、どうも厳しそうだ。ランの目を誤魔化せる気がしない。計画の決行自体はまだ二週間近く先だから、もし機会があったらこっちから連絡する。送るデータに緊急時の連絡先を書いとくが、よほどのことが無い限り連絡するなよ。殺されるからな」 「誰が?」 「お前が、だよ」 「そんなこと……」 「言いたいことがあるのは分かるが、もう切るぞ。遅くとも二週間後に会おう」 彼はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。多分リダイアルしても無駄だろう。 軽く溜息を吐いて振り返ると、香草さんが額に青筋を浮かべてこちらを見ていた。 「……どういうことよ……女達にモテモテだったって」 女達にモテモテ? 何のことだ? 僕は自慢じゃないが生まれてこの方女の子に囲まれてもてはやされるようなことは一度も無かったんだけどな。 「もしかして、さっきの冗談のこと?」 そこまで考えて、それに行き当たる。 冗談以外に誤解の仕様が無い言葉だと思ったんだけれど…… 「冗談? そ、そうよね! ゴールドが女にモテモテなわけ無いものね!」 彼女は引き攣っていた顔をパアッと綻ばせ、嬉々としてそう言う。 いや、確かに事実だけどそんな嬉しそうに言わなくても…… 「あ、ち、違うのよ。別にゴールドがもてなくて嬉しいとかそういうことじゃなくて、いや嬉しいんだけど、その、違うの!」 「大丈夫だよ、分かってるから。それに……」 「それに?」 「チコさんにだけもてれば、それで十分だよ」 彼女は顔を真っ赤にし、手を胸の前で震わせ、オロオロしている。 そしてそのまま何事かを呟きながらゆっくりと後ろに倒れていった。 「チコ!?」 倒れかける彼女を咄嗟に抱きかかえる。 「……しあわせすぎてしにそう」 彼女は平坦な口調でなにやらブツブツを言っている。 人々の視線が向けられているのが分かる。 さすがに公衆の面前でこれは恥ずかしい。 馬鹿ップル死ね! 照れ隠しにそんな自虐をして、その後しばらく香草さんとのデートを楽しみ、ポケモンセンターに帰還した。 やどりさんの姿はなく、ちょっと出かけてくるとの書置きがあった。 帰還するとすぐにポケギアに送られてきていたデータを展開し、考証する。 僕は冒頭から早速驚愕させられることになる。 一枚目の内部文書と思われる書類。 そこにはでかでかと、ラジオ塔乗っ取り計画、と主題が書かれていた。 821 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 15 08.90 ID Nn8VuQXE [8/9] ラジオ塔とは古賀根市にシンボル的に聳え立っている電波塔兼番組製作所のことである。 ら、ラジオ塔乗っ取り? 二つの意味でびっくりだ。 一つは、大都会のシンボル的有名建造物を狙う大胆さ。 もう一つは、ラジオ塔を乗っ取る意義がまったく分からないことだ。 だってラジオ塔だよ? 兵器も道具もない。数年前のシルフカンパニー乗っ取りはまだ納得できたけど、ラジオ塔なんて乗っ取ったところで何が出来ると言うのか。日がな一日毒電波でも発し続ける気だろうか。 しかもこんな人目につく、人口の多い場所で。 人口が多ければ当然それを管理する人間の数も多い。シンプルに言えば、警官がたくさんいる。 しかもラジオ塔は目立つ。とっても目立つ。 まるで狙う意味が分からない。 すぐに嘘の情報を掴まされたんじゃないかと言う懸念が頭を過ぎる。 しかしその資料を読み進めるにつれ、恐怖で血の気がみるみる引いていった。 顔が青いと香草さんに心配されるほどだ。 あの集団頭痛事件はやっぱりロケット団の仕業だったらしい。 この資料によると、ロケット団はポケモンがある種の大域の電波から影響を受けることを発見していて、それについて研究を進めていたらしい。 その研究の成果がアレというわけだ。 全てのポケモンが一斉に行動不能になれば、当然人間社会は成り立たない。 そしてあのラジオ塔の電波が有効に届く範囲は国土の半分以上だ。 そこであの電波を流されたら…… 丁子町の再現が、全国規模で起こる。 社会がひっくり返ってしまう。 きっと、それが最終目的じゃないだろう。 狙いはおそらく、騒ぎに乗じた国の中枢機能の乗っ取り。 今この国は、喉元に刃を突きつけられたも同然だった。 電波がポケモンに影響を与えるなんて話、今まで聞いたことも無く、俄かには信じがたいだろう。 あの丁子町の件を知らなければ、だけど。 なんてことだ。 事態は、僕の想像よりもはるかに重大で広大だった。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2662.html
267 名前:十六夜奇談 ◆grz6u5Kb1M[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 02 27 58 ID WEky9wKo [2/6] 1. 月明かりだけが差し込む薄暗い部屋の中、何かを啜る音が反響する。 部屋の中には人影が二つ。 華奢で小柄な少女と、どちらかと言えば大柄で、筋肉質な体付きの少年。 二人はお互い向き合って座っており、少年は少女に手を差し出し、少女は少年の手を取って自分の顔の前へと持ってきている。 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃり。 舐めていた。 少女は熱に浮かされた表情で、差し出された少年の手の中指を、一心不乱に舐め回していた。 だがただ舐めるだけでは無く、時折少年の指を咥え込み、何かを吸うみたく口を窄めたりもしている。 否。みたく、では無い。 少女は吸っていた。 少年の血を。体液を。そこに含まれる、少年の生命そのものを。 舐り、啜り、吸収していた。 少年はそんな少女を、ただただじっと見つめていた。 しばらくして、少女はようやく少年の指から口を離した。 どこか焦点の合っていない胡乱な目で、口からはだらしなく涎が垂れている。 少年はくす、と微笑むと、ポケットからハンカチを取り出し、少女の口元を拭ってやった。 我に帰った少女は、羞恥に頬を染めながら顔を俯かせる。 すると、何かが少女の頭の上にぽん、と置かれた。 少年の手のひらだ。 先ほど少女が舐めていた手とは反対の手が、少女の艶やかな黒髪を梳くように、優しく少女の頭を撫でていた。 「もういいのか?」 気持ち良さそうに目を細める少女に、少年は少女の頭から手を離すと、労わるように言った。 少女は少年が頭を撫でるのをやめたことに若干不満そうな表情を浮かべたが、すぐに取り直して頷いた。 「うん、もう大丈夫」 少年はそっか、と頷き返して、自分の中指を見た。 少女が血を吸いやすいように予め付けておいた切り傷は、もうすでに塞がりつつある。 「よし、それじゃあ晩飯にするか」 今日は手軽に野菜炒めにでもするかな、と少年が考えを巡らせていると、何やら熱い視線を注がれていることに気付く。 視線の主は言わずもがな、少女である。 何かを期待するように瞳を輝かせながらこちらを見据える少女に、少年は怪訝な表情を浮かべる。 「どうした?」 と少年。 「えっへっへー。ハルのハンバーグ食べるの久しぶりだなーって思って」 対する少女はにへら、にへらという擬音が聞こえてきそうなほど表情を弛緩させ、これ以上なく浮き足立っている。 それもそのはず。今日は少女の一番の大好物たるハンバーグの日なのである。 基本的に少年の作るものなら何でも大好物の少女だが、その中でもハンバーグは別格だ。 我ながら子供染みた味覚をしていると思うが、好きなものは好きなのだから仕方ない。 しかし、 「へ?ハンバーグ?」 少年はキョトンとした表情で、小首をかしげて少女に訊いた。 「え?昨日約束したでしょ?『明日はハンバーグ作ってやるからなー』って、ハル得意気に言ってたじゃない」 少女もまた、不思議そうに少年に問い返す。 しばしの沈黙。 それを破ったのは、少年の発した実に間の抜けた声であった。 「……………………あー」 「もしかして、忘れてたの?」 見る見るうちに少女の大きな瞳が潤み、形の整った眉が吊り上っていく。 少年は両手をあたふたとバタつかせて、必死に弁解の言葉を探し始める。 「い、いや!忘れてない!忘れてないぞ!ただちょっと他のことに気を取られてたっていうか、頭からスッパリ抜けてたっていうか、記憶にございませんっていうか……」 「忘れてたんでしょ」 「うっ……」 少女のズバッとした物言いに、少年は力無く項垂れた。 またしても沈黙が場を支配し、微妙に重苦しい空気が漂う。 部屋の内部を照らし込んでいた月明かりも今は雲に隠れ、暗黒の帳が二人の間に落ちる。 宵闇に紛れて読み取れない少女の表情。 268 名前:十六夜奇談 ◆grz6u5Kb1M[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 02 29 12 ID WEky9wKo [3/6] 少年は所在無さげに頭を掻き、目を伏せっておずおずと口を開いた。 「……ごめん、すっかり忘れてた」 そして静かに、頭を垂れた。 「ハルのばか」 ぷいす、とそっぽを向く少女。目が暗闇に慣れてきたのか、頬を膨らませているのが見て取れた。 そんな少女の様子がなんだか微笑ましくて、知らず、少年の顔が綻んだ。 少年の態度が気に食わなかったのか、少女の頬が更に膨らむ。 「いや本当にごめん。悪かった。埋め合わせと言っちゃなんだけど、明日はちゃんとハンバーグ作るから。だから許してくれよ、な?この通り」 眼前で手のひらを合わせるようにして、ひたすら平謝りする少年。 「ふんだ。ハルの言うことなんて、もう絶対ぜぇ~ったい信用しないんだから」 しかし、少女の機嫌は依然として直らない。それどころか、ますます悪くなる一方だ。 どうやら完全にへそを曲げてしまったらしい。 少年は次第に、先ほどまでの微笑ましいものを見る目から、段々と涙目になってきた。 そして、少女に機嫌を直してほしい一心で、ついその言葉を口にしてしまったのだ。 「今日一緒に寝てやるから!」 瞬間、少女の瞳がギラリと光った。 少年は自らの失言に気付いたようで慌てて口を押さえたが、もう遅い。後の祭り、後悔先に立たず、口は災いの元、である。 少女は一瞬、言質は取ったとばかりにほくそ笑むと、先ほどまでの不機嫌はどこへやら、太陽のような笑顔で少年に向き直った。 「しょうがないなあ、そんなに言うんなら許してあげる」 でも、と少女は続けて、 「そのかわり、今言ったこと、忘れないでね?」 ―――ハ、ハメられた……。 少年は愕然と肩を落とす。 寂しがりで甘えたがりな少女は、何かと少年と一緒に寝たがる。 少年としても少女と一緒に寝るのは決して嫌では無いのだが、16歳にもなってまだ一緒に寝ているというのは、少女の教育上よろしくないのではないかと考えている。 だから出来る限り少女には一人で寝させるようにしているのだが、敵もさる者、少女もまたあらゆる手段を使って少年と一緒に寝ようとする。 そのひとつがこれだったのだ。 どこからが計算だったのか、少年はまんまと少女と一緒に寝る約束を取り付けさせられてしまった。 「ほら、早く晩ごはんにしましょ。わたしお腹空いちゃった」 すっかり上機嫌になった少女は、鼻歌でも歌いだしそうな調子で少年の手を取る。 どうやら今夜は少年と一緒に寝られることが決まって、すっかりご満悦のようだ。 少年は観念したように、深々とため息を吐いた。 少年の名は、十六夜晴臣。 少女の名は、十六夜雨音。 この世でたった二人の、血を分けた双子の兄妹である。 269 名前:十六夜奇談 ◆grz6u5Kb1M[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 02 30 19 ID WEky9wKo [4/6] *** 日本のどこかに存在する地方都市・十六夜市。 十六夜家は、この地に古くから存在する名家だ。 市と同じ姓を持つこの家には、代々受け継がれてきた役目があった。 それは、十六夜市という土地に棲む霊なる存在を鎮め、時に滅するという役目。 つまるところ十六夜家とは、霊能者の家系なのだ。 そういった特殊な家系に、晴臣と雨音の二人は、16年前、母親の命と引き換えに双子として生を受けた。 晴臣は生まれた時から、高い霊力をその身に宿していた。 歴代最高の資質とされ、また晴臣自身の努力もあって、小学校を卒業する頃には、そこらの亡者など束になろうと問題にならない程の実力を身に着けていた。 しかし、そんな晴臣とは打って変わって、雨音には霊能者としての才能はこれっぽっちも無かった。 いや、才能が無いどころの話では無い。 それどころか、どういうわけか彼女は、身に宿す霊力の総量が一般人のそれと比べても極端に少なかったのだ。 霊力とは魂の力。言い換えれば生命力だ。 それが常人よりもはるかに少ない彼女は、本来なら一人では生きることすらままならない。 だが、そのかわり雨音には、晴臣よりも更に特異な能力が生まれつき備わっていた。 雨音の持つ特異能力。 それは、他者の血を吸うことにより、その血液を通して霊力を吸収し、自分の霊力とすることができるというものだった。 そうすることによって雨音は不足分の霊力を補い、初めて人並みの人間足りえるのである。 勿論、だからと言って誰彼構わず血を吸って良いわけでは無い。 霊力を吸収するということは、即ちその者の魂の一部を吸収するということ。 普通の人間から血を吸えば、吸われた人間はたちまちのうちに霊力が枯渇し、場合によっては魂が消滅してしまうという事態になりかねない。 自然、彼女が最低限普通の人間として生きるためには、ちょっとやそっと吸われた程度ではビクともしない、並外れた霊力を持った人間が必要だった。 そしてそんな人間は、幸運にも、彼女の最も身近に存在した。 「雨音、ちゃんと布団入ったか?」 晴臣は電気の紐をつまみながら、隣で寝ている雨音に尋ねた。 「んー」 雨音は頭までずっぽりと布団を被って気の無い返事を返した。 すでに夢心地になりつつあるようだ。 晴臣は電気を消すと、いそいそと布団に潜り込んだ。 春先とはいえ、夜はまだまだ冷える。 さすがに雨音のように頭まで布団を被ったりはしないが、しっかりと肩まで布団をかけた。 晴臣はちらりと雨音の方を見た。 生まれた時から霊力が少なく、誰かから霊力を吸わなければ、生きることすらままならない双子の妹。 晴臣は物心つく前から、そんな妹に血を与え続けてきた。 彼女を一人前の人間として生かすことができ、且つ彼女に霊力を与えてもほとんど人体に影響が無いほど膨大な霊力を持っている人間は、彼しかいなかったからだ。 けれど晴臣は、そのことに関して嫌だと思ったことは一度も無い。 そのことに関して思うことは、たった一つだけ。 雨音に対する、途轍もない罪悪感だけだ。 雨音とは対照的に、自分は人並み外れた高い霊力を持って生まれてきた。 まるで本来は雨音の取り分だったはずの霊力を、根こそぎ奪ってきたかのように。 いや、少なくとも晴臣はそう思っている。 自分が雨音から霊力を、生命を奪ってしまったのだと。 だから晴臣は、雨音に霊力を与え続けている。 否、返している、と言った方が正しい。 自分のこの霊力の半分は、元々は雨音のもののはずだから。 自分さえいなければきっと、雨音はこんなことに苛まれずに済んだはずだから。 俺が生まれてきたから、雨音はこんなにも不自由な体質になってしまった。 俺が生まれてきたから、雨音は今はもう天に還った父に、落ちこぼれだ、化け物だと邪険にされ続けた。 俺さえ、生まれて来なければ。 そこまで考えて、晴臣は小さく頭を振った。 ダメだ、こんなことを考えては。 思念もまた魂の一部。霊力の一部だ。 こんなことばかりを考えていては、次に雨音に霊力を返す時、何か悪影響を及ぼしてしまうかも知れない。 晴臣は考えることをやめて、ぎゅっと目を瞑る。 それから睡魔に意識が飲まれるまで、そんなに時間はかからなかった。 270 名前:十六夜奇談 ◆grz6u5Kb1M[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 02 32 01 ID WEky9wKo [5/6] 隣で晴臣が寝息を立て始めているのを感じて、雨音は目を開いた。 布団からそっと頭を出し、晴臣を見る。 心地良さそうに眠る晴臣の寝顔は、本当に無防備で。 雨音はたまらず、晴臣に抱きついた。 腕と脚を晴臣の身体に絡めて、晴臣の胸に顔を埋め、思いっきり息を吸い込み匂いを堪能する。 えへへ。ハル。ハル。ハルの匂いだあ。あったかいなあ、ハルは。 晴臣が自分のこの体質に対して、何か負い目のようなものを感じているのは、雨音も気付いていた。 そして、晴臣が自分のことをとても大切に思い、また、心配してくれていることも知っている。 それを実感する度に、雨音は晴臣のことが愛しくて愛しくて仕方なくなる。 晴臣に大切にされていると思うと、胸がドキドキして、頭の中がボーッとして、お腹の下辺りがキュンキュン疼くのだ。 でも。でもね、ハル。あなたは一つ勘違いしてる。 わたしはこんな体質に生まれてきたことを、一度だって嫌だと思ったこと無いんだよ? それどころか雨音は、自分をこういうカタチに作ってくれた父親に、自分をこんな体質に産んでくれた母親に、深く深く感謝していた。 不完全で、不安定で、晴臣から血を貰わなければ、すぐにでも朽ち果ててしまうだろうこの身体。 自分の生殺与奪の権利は全て、晴臣によって握られていると言っても過言ではない。 雨音はそれが嬉しかった。 たまらなく嬉しかった。 何故ならそれはまさしく、自分の全ては晴臣のものだという証明に他ならないではないか。 この身体も、この心も、この命も、この魂すらも。 全てが晴臣のものだという確固たる証明。 もしも晴臣に捨てられたら、自分は本当の意味で生きていけなくなる。 晴臣以外の人間の血など飲む気にもならないし、第一そんなこと、この街を守ることが使命の晴臣が許すはずが無い。 自分は晴臣の庇護下でしか生きることを許されない、晴臣の所有物。 言わば、晴臣の飼い犬のようなものだ。 瞬間、雨音はゾクリと身震いした。 飼い犬。飼い犬。飼い犬……。 そう、わたしは飼い犬だ。 ハルに血という餌を与えられて、霊力という鎖に繋がれた飼い犬。 ご主人様がいなければ何もできない、生きることすらできない、無能で役立たずな駄犬。 それが、わたし。 雨音は晴臣に抱きつく腕に力を込めた。 その小ぶりな胸を晴臣の腕に押し当て、晴臣の太ももに自らの秘所を擦りつける。 知らず、頬は上気し、甘い吐息が漏れる。 気付けば雨音は、まるで発情期を迎えた犬のように、腰を振り、身を捩じらせ、快楽を貪っていた。 秘所はすっかり濡れそぼっており、晴臣の太ももを濡らしている。 雨音は虚ろな瞳で、再び晴臣の方を見た。 すぐ隣で、自分がこんな痴態を晒していることなど文字通り夢にも思っていないだろう彼は、すうすうと安らかな寝息を立てている。 ハル、ごめんね。いつもいつもわがままばかり言って。 今日だって夕食のことで、あんな生意気な態度を取っちゃって。 怒ったよね?腹が立ったよね? ハルはいつだって優しくて、わたしもそんなハルが大好きだけど、たまには怒ったっていいんだよ? ううん、むしろハルは、もっと怒るべきだよ。 本気で怒って、本気でお仕置きして、しっかり躾け直さなきゃ。 特にこんなわがままで、生意気で、そのくせご主人様に発情して勝手に自慰行為に耽るようなどうしようも無い雌犬には、キツいお仕置きをしなくちゃダメ。 殴ったっていい。蹴飛ばしたっていい。わたしは全部受け入れるから。 ハルにされることなら、わたしはどんなことだって受け止めてみせるから。 でも、それでもし、もしわたしが、今より少しはお利口さんになったら。 その時は、よくできたなってわたしを褒めて、たくさん可愛がってほしい。 よしよしって頭を撫でで、ぎゅって抱きしめてほしい。 ああ。ハル、ハル。 わたしを痛めつけて。わたしを甘えさせて。わたしを傷つけて。わたしを抱きしめて。わたしを支配して。わたしを守って。わたしを壊して。わたしを愛して。 わたしを、わたしを、わたしを、ワタシヲ―――――――――――――――――――。 果てた。 雨音は息を荒げて、ぐったりと横たわる。 すると、途端に強い眠気が襲ってきた。 しかしその瞳は、意識が夢の中へと誘われるまで、ずっと晴臣に向けられていた。 ハル、大好きだよ。だからずっと、わたしのそばにいてね。 雨音はそっと目を閉じて、眠りについた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/376.html
297 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 00 24 47 ID 1/djX81y 彼らがどこに行ったのか、マッド・ハンターは実を言えばほとんど迷わなかった。 行き先は限られている。血塗れの二人旅で、遠くまで行けるはずはない。 直接見てはいないものの、ヤマネは殺戮のかぎりを尽くしたはずであり、五月生まれの三月ウサギはその手を引いて逃避行をしたはずだ。 長い付き合いから彼らの人格を知り尽くしているマッド・ハンターは、そのことを理解していた。 ヤマネが三月ウサギの家族を殺し、独占しようとすることも。 三月ウサギが、そのことを責めようともせずに、その存在を許容するであろうことも。 となると、二人は今にも手に手をとって逃避行を始めるはずであり――彼女の予想が正しければ、ヤマネは、今夜にも死ぬ。 というわけで、喫茶店『グリム』を抜け出し、マッド・ハンターは夜の街へと繰り出した。 明確な目的を持って出かけるのは久しぶりだった。 入れ替わりの激しい狂気倶楽部の中で、長く生き、居続けるのには理由があった。 けっして深く関わらず、傍観の立場にいること。 関わるときは、物語が終わり――エンドマークが打たれるときだけだ、とマッド・ハンターは心に決めている。 そして、今夜。ヤマネという少女の、物語が終える。 町の外れにある、出来かけたままの鉄筋ビルにマッド・ハンターは足を踏み入れる。 鉄骨と、所々が未完成のコンクリート製の足場。町の中心部から外れたせいで、開発が途中で止まった高層ビルの成れの果て。 世界に置いていかれて、ゆっくりと朽ちていく場所。 こういう場所は町のあちこちにあり、『グリム』に通うようなゴスロリ少女たちからは、『聖域』と呼ばれている。 その退廃的な雰囲気が、彼女たちを魅了するのだろう。 そんな感慨はマッド・ハンターにはなかったし、恐らくは三月ウサギにもないだろうと思っていた。 それでもここに来たのは、三月ウサギの家から人目に通らない裏路地を取って行ける、人気の存在しない場所がここだったからだ。 居るとしたら、ここに居る。 いなければ、夜の間に、街を出て行ってしまっている。 半分は賭けだった。 マッド・ハンターは、賭けに勝った。 298 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 00 42 23 ID 1/djX81y そこにあるのは、惨劇の後ではなかった。 幹也の家のような血塗れではない。 吐瀉物に汚れる、小さな死体があるだけだった。 首を絞められ、酸欠するよりも先に骨を折られたのか、首がくの字に曲がっている。 口の端からは胃の内容物と血が交じり合ったものが垂れ流れている。 どう見ても死んでいて――その死に顔は、この世の誰よりも、幸せそうだった。 ヤマネの、死体だった。 マッド・ハンターは、廃ビルの中をもう一度見回す。 ヤマネの死体がある。 そして――三月ウサギは、どこにもいない。 「……そうか、そうか、そうなのだね。もう、行ってしまったのね」 ヤマネは醒めない眠りにつき。 ウサギは逃げ出して。 全ては、完膚なきまでに、終わっていた。 マッド・ハンターは薄い笑みを浮かべ、杖に体重をかけつつ、ポケットの中から携帯電話を取り出す。 何のアクセサリーもついていない、機能重視の薄い携帯電話。 ボタンを押さず、ダイヤルを回し、登録してある番号にかける。 相手は、直ぐに出た。 『はいはぁい、』 『はいはいはい、お仕事ですよ『壱口のグレーテル』ちゃん。西区の聖域、廃ビル、」 相手の言葉を遮ってマッド・ハンターは言い、グレーテルと呼ばれた相手もまた、言葉を遮って電話を切った。 ツー、ツー、という音だけが虚しく響く携帯を耳に当てながら、マッド・ハンターは無言で肩をすくめる。 この調子だと、三十分もかからずに相手はすっとんでくるだろう。 壱口のグレーテルと、人朽ちのヘンゼル。狂気倶楽部の、お仲間が。 ――その前に、やらなければならないことがある。 マッド・ハンターは携帯をしまい、しまったそこから魔法のように鋏を取り出す。 鋏を手に、ヤマネの死体へと近寄りながら――右手でしゃきん、と一度鳴らす。 それ以外に、音はない。 死に果ててしまった場所で、生きているのは、マッド・ハンターだけだった。 300 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 01 07 53 ID 1/djX81y ――予想に反して、グレーテルは十五分二十五秒でやってきた。 「はぁい。元気ぃ? あたしとしては、元気じゃない方が嬉しいんだけどぉ」 ふらふらと揺れながら、グレーテルは廃ビルへと現れた。 足元がおぼつかなく揺れている。 ここまで走ってきたせいなのか、常日ごろからそうなのか、見ただけでは判別がつかない。 ぱっと見は酔っ払っているように見えるが、しかし、年齢で言うのならばマッド・ハンターより年下なのだ。 もっとも、二人とも未成年であることには変わりないけれど。 「やぁ、やぁ、やあ! 私は元気でしたよ。ヘンゼルくんは変わらず不元気かい?」 「不元気ぃ?」グレーテルはわざとらしく唇に人差し指をあてて、「不健康、不健全、不満足、ねぇ」 笑って、グレーテルは髪が短くなったヤマネの死体に近寄っていく。 その手には、普通に生活している分には絶対に見ることのない、ボディバッグと呼ばれる緑色の大きな袋を持っていた。 袋というよりは、完全密封式の寝袋に近いかもしれない。 死体を詰めるという、その目的のために存在する、通称『死体袋』である。 その袋をずりずりと引きずりつつ、 「何ぃ? まーた髪が短いじゃない。なんであんたから連絡がくるときって、いっつもこうなのよ?」 「きっと、きっと、きっとだね、短髪者を愛好する殺人鬼がいるんでしょうね」 さらりと嘯くマッド・ハンターを、まったく信じていない目つきでグレーテルは見る。 その瞳は、ヤマネが零した血のように赤く、禍々しい印象を人に与えかねない。 そのくせ髪は新雪の雪のように白く、前は鎖骨、後ろは肩甲骨のあたりで切りそろえられていて、 見るものに清楚な印象を与えるという、二律反したイメージがそこにあった。 レトロなキュドパリ・ジャンパースカートは黒で、モノクロの世界から抜け出してきたような雰囲気がある。 ジャンパースカートの下には何も着ていないせいで、肩口から腕にかけては完全にむき出しになっていた。 その細い腕で死体袋のチャックを降ろしつつ、グレーテルは妙に間延びした口調で、 「まぁ、あたしとしてはぁ、新鮮なのが手に入れば文句は言わないけどねぇ」 マッド・ハンターはその様子を斜に構えて見つつ、「新鮮な方がいいの」と訪ねた。 首だけで振り返り、笑ってグレーテルは答える。 「兄さまはぁ、それが好きなのよぉ?」 もう一度笑って、グレーテルはヤマネだったモノを袋の中に詰める。吐瀉物の掃除は彼女の仕事ではない。 すべては分担されている。 自分の役目をこなすだけだ。自分の役割をこなすだけだ。 誰もが、自分という役を演じているだけだ。 つらつらとマッド・ハンターがそんなことを思っている間に、グレーテルは作業を終えた。 そして、来た時と同じくらい唐突に、挨拶もなく踵を返した。 マッド・ハンターはため息をもって別れの挨拶とし、こつん、と杖で一度床を叩く。 そこにはもう、本当に、何もない。 ヤマネも、三月ウサギも、そこにはいない。 もう一度だけ――あるいは最後に――マッド・ハンターは、器用にも、笑いながらため息を吐いた。 そうして、一つの物語は終わりを告げて。 新しい物語は、ゆっくりと始まっていた。 <二話に続く>
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2478.html
112 :雌豚のにおい@774人目:2012/03/19(月) 03 13 55 ID STlZt21Q 駅前から少し離れた雑居ビルの一階に位置する喫茶店、ブレッド。 ガラス越しに店内の様子を覗いてみると女性の客が一人だけいる。 知っている顔だった。高校時代の同級生、久坂葵。この地域では有名な富豪の生まれだ。 緩いウェーブの掛かった長い黒髪に均整のとれた顔立ち、特徴的な大きな円らな瞳が一際目立っている。 紺色のシャツに、多分下はそこらで売っているようなデニムだろう。 黒縁の伊達眼鏡を掛け、地味目に装っているが遠目から見ても分かる様なお嬢様らしい気品が溢れている。 手持ち無沙汰そうにひとさし指に髪を巻きつけては頬杖をついて俯く。 どこか憂いを含んだ瞳だったが、葵は俺に気づいた途端、目の色を変えてにこりと笑った。 俺は愛想笑いで返し入り口の蝶番を軋ませる。 ドアに無理やり付けたであろう大きいベルが派手に音を立てた。 「らっしゃい」 店内にはボサノバ風の落ちつた曲が流れている。いい加減なマスターの声とマッチしていなくもない。 マスターに軽く会釈をして彼女のいる席に向かい、相対するように椅子に腰掛ける。 それからマスターが頭を掻きながらコップ一杯の水を差し出し、スタスタとカウンターの奥へ入っていった。 水の飲み干し葵を一瞥する。 「あー君は今までどこに行ってたんですか?」 それが彼女の第一声だった。俺はわざとらしく重い溜め息をつく。 「……分かってる癖に」 葵は悪戯っぽくふふっと微笑んだ。 「もう五年も経つのか。去るものは日々に疎し、もう忘れられたと思っていたがな」 「私は自分でも嫌になるくらい執着する女のようです。すいません、カプチーノ一つお願いします」 自嘲気味にそう言い、ついでに注文する。 カウンター奥から出てきたマスターがメモ帳に何か書き込み、今度は面倒そうに俺に目を向ける。 「水をもう一杯」 「公園の水でも飲んでろ」 おお手厳しい。 「それが客に対する態度かね?」 「客は商品を買う。金が無いなら帰れ」 口を開くたびに険悪になる俺とマスターのやりとりを葵が止めた。 「マスターさん!あー君に酷い事言ったら許しませんよ!私が払いますからブラックお願いします!」 マスターがばつの悪そうな顔をしてチッと舌打ち。そしてカウンターの奥に引っ込む。 「俺のことになるとすぐ怒るのは変わらないな」 「……みたいですね」 俯き加減で恥ずかしそうに葵が言った。 「えぇと、その、お知り合いなんですか?」 「ああ、あいつは大塚。小学校からの付き合いだ」 「えっ」 葵が素っ頓狂な声をあげ、目をしばたたいた後、「それはすいません」と軽く頭を下げた。 過去の友人に怒鳴った事を謝っているのだろうか。俺には分からない事だが。 113 :雌豚のにおい@774人目:2012/03/19(月) 03 14 30 ID STlZt21Q 大塚が熟練の技を披露しつつコーヒーを淹れる姿を見ていると、「こっちみんな」と言われた。 仕方なく葵に視線を戻す。だが特に話すことが無い。 今度はこっちが手持ち無沙汰になり、ぼんやりしていると唐突に葵が口を開いた。 「私が今日ここに呼び出した理由、解っていますよね?」 口を引き結び目が据わっている。舌先三寸で誤魔化すな、ということか。だが、ここはあえて。 「解らないな、ようやく連絡がついた元恋人との再開を楽しむ為か?」 「それもありますが……本質ではありません」 大方想像は出来ている。次に彼女は連れ戻すと言うだろう。 葵は肩をすくめて言った。 「……では、少し昔の話をしましょうか」 盛大に予想が外れた。それと同時に背中に嫌な汗が浮かぶ。 「五年ほど前の事です。私はペットを飼っていました。それはそれは大事にしていましたよ。 最初は反抗ばかりしていましたがちゃんと躾をするとそれも収まりました。 毎日決まった時間に三食与え、トイレの世話も、お風呂にも入れてあげて、 その後は太らないようにウンドウもしてあげました」 何かを思い出すように妖艶に笑みを浮かべる葵に思わず生唾を飲み込む。 だがその顔はすぐに落胆に変わった。 「その生活が1ヶ月もした頃でしょうか、私からペットを奪おうとする人が現れました。 最初からこの子は私のものなのに何度も『返せ』って言うんですよ? 最初は軽くあしらっていたのですがだんだんストレスも溜まってきまして、 お肌に良くないですし、いい加減騒々しいのでその人を処理しようと出掛けました。 ですが、それが間違いだったのかもしれません。 上手く処理が出来たので上機嫌で家に帰るとペットがいないんです。 私はその晩、泣きに泣きました。後日落ち着きを取り戻した私は、 何があったのか仕えているメイドに聞くと、 友達とか言う人が押し入ってペットと一緒に逃げたそうです」 葵がそこで言葉を切った。俺の隣に大塚が立っている。 「カプチーノとブラックコーヒー、お持ちしました」 小皿の上にティーカップとスプーンを乗せ机に置く。 「では、ごゆっくり」 伏し目がちにそう言い大塚が何かを呟いて店の奥に引っ込んだ。 「とりあえず飲みましょうか。冷めるのも嫌ですし」 あまり飲む気分ではなかったが葵の大きな瞳が俺を捉えて「飲め」と言っている。 仕方なくちびりちびり口の中に運ぶ。 「では、先ほどの続きを」 前置きし聞きたくも無い昔話が再び始まった。 「それから私はその友達とどこかへ消えたペットを探しました。 まぁ、紆余曲折はありましたが今年になってようやく見つけ出しました。 あなたというペットを……何かおかしな事でも?」 「いや、く、はは、なんでも、ない」 笑いが止まらない。困った時に笑うという日本人らしさが遺憾なく発揮されている。 114 :雌豚のにおい@774人目:2012/03/19(月) 03 15 00 ID STlZt21Q このままではいけないと脳が判決を下した。 太ももをつねり気を引き締めて今度はこちらから切り出す。 「それで、どうする気だ?その細い腕で俺を連れ戻すとでも?」 緊張のせいか口の中が異様に乾く。 半分も減っていないコーヒーを一気に飲み干すと、葵が笑みを浮かべた。 何かとてつもなく嫌な予感がする。すぐにこの場を離れろと頭の中で警鐘が打ち鳴らされている。 「ふふふ、流石にそんな事は出来ませんよ。あなたの幼馴染のあの人なら出来たかもしれませんがね。 あの可愛い子なら」 「……俺はもう行くぞ。これから仕事がある」 「もう少しだけいても良いでしょう? それにあなたって今は無職じゃないですか。 仕送りで生活しているんでしょう?」 「なっ……!」 下手に出歩けば見つかる可脳性が高くなってしまう。 その為俺は事情を話し止む無く親からの仕送りで生活していた。 誰のせいだと怒鳴りたくなったがそこをぐっと飲み込む。怒りで時間をつぶしたくは無い。 「もういい、俺はいく、ぞ」 席を立ち、少し歩いた所で酷い眩暈が襲った。 次第に意識が朦朧としてくる。 「くそ、なん、だ……これ」 あぁ、そうか。簡単な事だ。薬を盛られていたんだ。 ではいつ?葵は何もしていない。とすると大塚が盛った事になる。 「何故? と思っているでしょう?これも簡単な事、脅迫よ。 あなたを逃がしたのが大塚君って分かったのはすぐの事。でも探すのに手間取ってね。 去年ようやく見つけて、『あなたの居場所を言わなきゃ殺す』 って子供みたいに脅したら血相を変えて答えたわ。 あの時の顔ったら、ふふふ、あははっあはははははははははははははは」 警察に言おうか、と大塚は一瞬考えただろう。だが久坂の家は多方面と繋がっている。 言うに言えないだろうし、警察もきっと動かない。 大塚本人はここにいない。二人だけの室内に葵の高らかな笑い声が響く。 その声に力を抜き取られているのではと錯覚してしまうくらい全身に力が入らない。 駄目だ、立てない最悪這ってでもここを出なければ。 「ふっふふ、どお?お友達に裏切られて、悔しい?悲しい? 私は嬉しいわ! あなたのそんな顔を見るのも監禁し始めた頃以来だもの、 体の芯から嗜虐心を煽られるこの感じ、くひひひひ」 いつの間にか葵が俺を正面から見下していた。 「今夜はたっぷりお仕置きしてあげる。逃げる気も起こらないぐらいにね。ふ、ひひ、ひひひ」 残る力で葵を見上げると口を三日月の様に歪ませていた。 まぶたにも力が入らなくなる。 目を閉じればすぐにでも意識が離れるだろう、ああ、もうどうでもいい。 どうせ俺はもう逃げ出せれない。それならもう身を任せてしまえばいい。 あの生活もいいじゃないか。 逆らえば鞭が飛び、決まった時間に高級料理が並び、葵が俺の糞尿を飲み下し、 広い浴場に癒され、その後は夜が明けるまで葵の体を貪る。 それでいい、自由は無くとも不自由はない。 だから、だからもう寝てしまおう。 寝てしまおう。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2634.html
707 名前:ぽけもん 黒 31話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 21 37 32 ID KKK.SerE [10/14] 柔らかな光。 暖かな温もり。 確かな感触。 ポポは幸せに包まれていました。 「おはよう、ポポ。もう朝だよ」 優しい声で目を開けると、そこにはゴールドがいました。 私の愛しい人。私に、全てをくれた人。 ポポは、ずっとひとりぼっちでした。 自分で餌を取れるようになったら独り立ちし、親兄弟といえども干渉はしない。自らの縄張りを誇示し、適当な時期になったらオスと交配し子をなす。 それが、ポポが送るはずだった一生です。 頭のいい生き物達は、そういうところを見て、ポポたちのことを下等な、劣った生き物だとあざけります。 でも、ポポは、そのことに何の疑問も抱いてませんでした。 縄張りを守ることとか、日々の糧を得ることとか、そんなことが、ポポのすべてでした。 何の疑問も持たず、ただ生きることを繰り返す日々。 ポポは決して不幸ではありませんでした。だってそれはポポにとって当たり前のことでしたから。 それは、ポポにとってなんでもない、いつもどおりの行為でした。 人間から荷物を奪って食べ物があればそれを得る。 弱い弱い人間は、格好の狩の獲物でした。 でも、その人間は違いました。 その人間はポポに襲われても怒ることも逃げ出すこともせず、いつもポポへと向けられる蔑みでも怯えでも弱者への憐憫でもない、まっすぐな目でポポを見ます。 ポポは、今までに抱いたことも無い気持ちを抱きました。 そのときは、それがなんだったかは分かりませんでした。 でも今ならはっきりと分かります。 これは愛。 ゴールドは、ポポの運命の人でした。 ゴールドのお陰で、ポポはもう闇に怯えなくてもいいくらい強くなれました。 ゴールドのお陰で、ポポは愛を知ることが出来ました。 ゴールドのお陰で、ポポはそれが愛と理解できるだけの知能を得ることが出来ました。 だから分かったのです。ゴールドと出会う前のポポには何もありませんでした。ゴールドと出会って、ポポは初めてこの世界に生まれたのです。 それを知れたのもゴールドのお陰。ゴールドはポポのすべて。ゴールドはポポをポポにしてくれた人。大切な人。運命の人。 愛おしくて、苦しくて。ポポはいつもゴールドのことを想っていました。だって、ポポのすべてはゴールドのものなのですから。 早く本当に、ポポのすべてをゴールドのものにして欲しい。 ――でも、そんな大切な人の傍には、常に目障りな生き物がいました。 香草チコ。ゴールドと同い年の少女。 獣の勘ってやつですか、ポポは一目見たときから、その女から嫌なものを感じていました。 強いとか弱いとか、自分を害すとか害されるとか、そういった色々を超えた嫌悪感。 そのときのポポには、その嫌悪感の正体を知る由もありません。 でも、今ならはっきり分かります。 あの女は、ゴールドを蝕む害獣だったのです。 あの女は、ことあるごとにゴールドを傷つけました。 そのたび、ポポは酷い苛立ちを覚えました。あぁ、これもゴールドと会う前は知らなかった感覚です。 自分以外の誰かが傷つくのを見て、怒りを覚えるなんて。 それなのにゴールドはあの女から離れようとしません。 あの女も、ゴールドから離れようとしません。 ポポには、それが不思議でなりませんでした。 やどりと二人であの女を痛めつけてやったときには本当にすっとしました。 そのままどこかに消えたときには、もうポポは有頂天でした。 もうあの目障りなメスを見ることは無い。あの目障りな生物に邪魔されることはない。 思う存分、ゴールドと一緒にいられる。ゴールドの隣にいられる。 それなのに、ゴールドのために敵と戦って、それで傷ついて、再び目を覚ましたときには、ゴールドはいませんでした。 本当に血の気が引きました。ガクガクと震えて、まっすぐ立ってることもできませんでした。世界がぐるぐる回って、どうにかなりそうでした。 暴れて、人間に押さえられて、ゴールドが前いた街に戻ったことを聞きました。 この町にはロケット団を追ってきたのですから、もといた街に戻るのは当然です。 でも、どうしてポポをおいていったのですか? どうして、ポポの怪我が治るのを待っていてくれなかったのですか? 急用って、それはポポよりも大事な用事なのですか? ポポには、ゴールドより大事なものなんて無いのに。 ゴールドはそうじゃないですか? もしかして、ポポはゴールドに捨てられた? 負けるような弱いポポはいらない? 大怪我をして、もう以前のようには戦えないかもしれないポポはもういらない? 708 名前:ぽけもん 黒 31話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 21 38 09 ID KKK.SerE [11/14] ゴールドがそんな人間じゃないということは分かっています。 それでも、万が一のその可能性を想像するだけで、恐怖で息も出来なくなります。 でも今のポポの状態では、とても今すぐゴールドの元に向かうことなんて出来ないです。 だからといってじっとしていられない。 無理にポケモンセンターを抜け出そうとして、鎮静剤と睡眠薬を打たれ、恐怖にまどろみながらポポは数日を過ごす羽目になりました。 意識がまともに戻った瞬間、そのままポポはポケモンセンターを飛び出しました。 ひたすらに空を飛びます。 ゴールド。 ゴールドゴールドゴールド。 ゴールドに嫌われていたらどうしよう。ゴールドに捨てられていたらどうしよう。ゴールドに迷惑そうにされたらどうしよう。 想像するだけで胸が苦しくなり、そのまま墜ちてしまいそうになります。 それでも、ゴールドに会いたい。 ゴールドのところに行きたい。 捨てられても、いらないって言われても。 だって、ポポのすべてはゴールドから貰ったものなのですから。 だから、だから早く。早くゴールドの元へ。 街が視界に入ったとき、すぐに異変に気づきました。 高い建物の周りに雷が乱舞し、どうみても普通の様子じゃありません。 あの建物はラジオ塔。前に来たとき、ゴールドから教えてもらいました。 なんでしょう、すごく嫌な予感がします。 ポポの目には、遠くからでも何が起こっているかよく見えます。 ラジオ塔の景色は、どう見てもまともなものじゃありませんでした。 不意に、恐怖が一層強くなります。 ポポは悟りました。 今間に合わないと、ポポは永遠にゴールドを失う。 今間に合わなければ、ポポの人生に意味はありません。 だって、ゴールドはポポのすべてなのですから。 爆発があり、その後、窓の奥にゴールドが見えました。 危ない! ポポは叫んでいました。届かないと知りつつも、叫ばずにはいられませんでした。 ゴールドは黒い何かに押され、外に落ちていきます。 到底人間が助からない高さから、真っ逆さまに。 早く。早く! 今間に合わなければポポのすべてがなくなってしまいます。 ポポのすべてが無意味になってしまいます。 間に合えば、もうそれで消えてなくなっても構わない。体がバラバラに、砕け散ってしまっても構わない。 だからゴールド。ゴールドだけは―― ああこの重さ。この温度。この感触。 ああ、ああ、ああ! ポポの重さ。ポポの温度。ポポのすべて。 間に合いました! ポポが、ポポがゴールドを救うことが出来た! ありがとうゴールド。ポポに救わせてくれて。ポポにゴールドを救うようにさせてくれて。 でも、ゴールドはそれからずっと元気がありません。 ゴールドの大切な人が死んだらしいです。でも、ポポには意味がよく分かりません。 だって、ポポには、ゴールドの他に大切な人なんていないんですから。ゴールドの他の生き物がどうなろうと、ポポにはどうだっていいんです。 だから、ポポはポポの気持ちをゴールドに打ち明けることにしました。 ポポの胸の中には、ゴールドを救うことが出来た達成感と、ゴールドへの愛おしさしかありませんでした。はっきり言えば、舞い上がっていました。 ――だから、ポポは絶望へと落ちることになりました。 ああ、そんな、嘘です! ゴールドが、ゴールドがポポを受け入れてくれないなんて!! ……ポポは思いました。あのいやなメスが、あの害獣が近くにいるから。だから元気がないんですよね? あのゴールドを害すだけの生き物に、ゴールドは苦しめられてるんですよね。 だから嘘ですよね。チコを好きだなんて。愛しているだなんて。 だって自分のことを傷つけるだけのものを愛すなんて、絶対におかしいです。 なのに。どうして、どうしてそんな顔するですか。 どうしてそんなこというですか。 どうして、ポポのすべてなのに、ポポの全部を受け取ってくれないですか。 こわかった。 怖くて、どうにかなってしまいそうだから。 だから、ポポはゴールドに抱きつきました。 ゴールドに思いの丈をぶつけました。 そしたら、ゴールドは分かってくれました! なんとなんと、ゴールドはポポを受け入れてくれたのです! あの女達は要らないって! ポポだけいればいいって! ポポと一緒です! ポポもゴールドだけいれば他に何もいらないです! あとのポポの人生には幸福しかありません。 だから、ポポは目の前の愛しい人に口付けを交わすのでした。 ポポの愛しい人。ポポにすべてをくれた人。 そこは、ポポの望んだ世界。ポポの幸福な夢。 709 名前:ぽけもん 黒 31話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 21 38 43 ID KKK.SerE [12/14] ―――――――――――――――――――――― 「ん、おはようです、ゴールド」 幼い少女の口付けで今日も目を覚ます。 目を開けると、そこには可愛らしい少女の、しかしその幼さに似つかわしくない、淫靡な溶けたような笑顔がそこにあった。 僕はその挨拶に答えることもない。 酷い頭痛がする。吐き気がこみ上げ、胃酸がカラカラに乾いた喉を焼く。まるで悪夢だ。 「うふ、ゴールド、またするですよぉ」 そういって彼女は僕の下半身をいじりだす。 もうこんな生活を送るようになって三日が過ぎた……と思う。あれから三度日が昇り沈むのを見た気がするからだ。だけど、それも定かじゃない。現実か幻覚かも分からない。 僕の体力と精神力は完全に限界を超えていた。 「ゴールドぉ、朝ごはんですよぉ」 そういって彼女は木の実を口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。 そうして、ドロドロに溶けた木の実を、彼女は僕の口に口移しで流し込む。 味なんて分からない。もう彼女の体温も感触も、よく分からなくなってしまった。 旅の途中で彼女に抱きつかれて感じたあの温もり。あの時は、確かにポポの暖かさや優しさを感じることが出来たはずなのに。 あの明るく無邪気な彼女と、この目の前の存在は果たして同じものなのだろうか。同じものだとすれば、どうして僕は今の彼女からは何も感じることが出来ないのか。 僕はこれからどうなるんだろう。 分からない。考える力もわかない。 「うふふ、こぼしてますよゴールド。ちゃんと食べるですよー」 彼女はそういって僕の口を舐める。 「ちゃんと食べないと……」 意識が溶けて消えていく。 僕は再びまどろみに落ちた。 洞窟に響く湿った音。やわらかい肉。誰かの嬌声。溶けたようなポポの顔。濃厚な性の臭い。耳元で囁く誰かの声。頭痛。吐き気。身体の痛みと気だるさ。耐え難い苦痛。 何も分からない。 地獄のまどろみの中から、唐突に覚醒した。 まともに意識を取り戻したのは一体いつ振りだろうか。 今がいつであれからどれだけ経ったかなんてさっぱり分からない。 そこでふと違和感を覚える。 いつも僕にまとわりついていたポポがいない。 食料をとりに言ったのかと思ったけどそれも違った。 ポポは、僕と少し離れたところで、殺気立って入り口を睨んでいる。 こんなに怒りというか闘争心をむき出しにした彼女を見るのは初めてかもしれない。 一体何があったんだ。 それを言いかけた僕は、全身を駆け抜けた悪寒で口を噤んだ。 はっきりと分かる。 殆ど思考も出来ないような鈍った脳でも、容易に捕らえられる、いや、閉じた脳を無理やりこじ開けられるような強引さで。夢でも幻覚でも無い。間違えようの無い、暴力的なまでの現実感。 何か、何かとてつもなく恐ろしいものが。 下から、猛然と迫ってくる―― 僕は自分が意識を取り戻したわけを知った。この殺気だ。この殺気と感じたからだ。僕の感覚が、本能が言っている。今正気を失っているとやばい、と。意識の混濁すら許さない、濃密な、圧倒的な恐怖。 同時に気づく。ポポはここでその何かを迎撃する気なんだ。 確かに入り口は一方。確実に来た相手に対応できる。 けど、ここで迎え撃つのは下策だ。 入り口が一つってことは、いざというときの逃げ道がないってことだ。 水や火、または毒ガスなんかを流し込まれたらどうしようもない。 慌てて出てきたところで待ち受けていた敵にやられるだけだ。 が、敵はそんなことしなかった。 「ゴールドー!」 まっすぐ、正面から突っ込んできた。 流れる、萌える春の草原のような髪。パッチリとした、見たものの心を捕らえて離さない、夏の果実のような綺麗な赤い瞳。美しく、彼女を彩るように咲いた花。懐かしい顔、声。 ああ、ああ。 「か……」 涙がとめどなく流れてきて、視界がぼやけた。 日の光を背負って僕の前に躍り出た彼女は、まるで女神か何かのようだった。 いや、彼女は紛れもない、救いの女神だ。 「香草さん!」 「会いたかった、ずっと会いたかったわ、ゴールド!」 ポポのことなんてまるで眼中に無いように、彼女は僕の胸に飛び込んできた。 710 名前:ぽけもん 黒 31話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 21 39 11 ID KKK.SerE [13/14] ―――――――――――――――――― 天国のような日々。 理想とは違いましたけど、それでも、ポポはとっても幸せでした。 「……んぁ」 ゴールドのものがポポの中で脈打った気がして、思わず息が漏れます。 愛おしくて、ゴールドの頬を撫でました。 ああゴールド。素敵です。カッコいいです。 ポポのことを抱きしめてくれなくなったのは悲しいですけど、でもしょうがないですよね、ゴールドは調子が悪いんですもの。 でもゴールドはいつも言ってくれます。 「ポポ、好きだ。愛してる」 「ポポにこうして抱きしめてもらう以上の幸福なんて無いよ」 「今はちょっと体調が悪いけど、でも、ポポと一緒にいればきっとよくなるから、だから心配しないで」 自分が具合悪いときですら、ゴールドはポポのことを第一に考えてくれます。 もう、そんな時くらい、自分の心配をしてください。 ポポは心配ですよ。 でも、きっと大丈夫ですよね。 だって一番大好きな人と結ばれたんですもの。 だからもう大丈夫。 これからの人生には、もう幸福しかないですよ。 ゴールドにキスをします。 ああ、ゴールドの舌、熱い。 こうしていると、幸福でポポは真っ白に溶けてしまいます。 ねえゴールド。ゴールドも今、こんな気持ちですか? ポポと同じ気持ちですか? ……ああゴールド、お腹がへったですね。 いつもみたいに、食べさせてあげるです。 ……もう食べ物が無いです。取ってこないと。 名残惜しさを必死で堪え、ゴールドから離れると、食べ物をとりに飛び立とうとしました。 その瞬間、恐ろしいまでの殺気がポポに向けられたのを感じました。 後悔がポポを包みます。見つかった。今外に出ようとすべきでありませんでした。 この嫌な気配。間違いない。あのメスです。ゴールドを傷つけるあのメス。ゴールドにすがり寄る悪魔。 ポポがゴールドを救ったのに、癒しているのに、それをあの虫けらは……! ふふ、来るがいいです。ここは岸壁の中。飛べないお前なんて、ただの鴨でしかない。狩られるだけの哀れなイモムシ。ポポには追いつけない。 うふふ、ゴールド行きましょう。お前はそこでポポとゴールドの幸せな旅路を指咥えて見てるがいいです。 しかし、ゴールドに近づこうとした瞬間、体が固まりました。 体が動かない。まるで巨人の手に握り締められたような…… この力には覚えがあります。 岸壁の向こう、こちらを見据える歪な塊。 やどり!! そうでした。この女の存在を忘れていました。 ゴールドを害しはしないですけど、ゴールドに求められることも無い。 いてもいなくても変わらない。憐れな女。眼中にもありませんでした。 あの害獣を駆除した後は、はっきり言ってどうでもよかった。 だからここまで放置してきたのに、まさかこんな。 気がついたときには、ポポはあの女の念動力にがんじがらめにされていました。 振りほどけない! 逃げてくださいゴールド、あの女が来るです。 そう言おうとして、ポポは心中で悲鳴を上げました。声すら出せない! ああ、こんなに近くにいるのに、ゴールド! お願い、逃げて!! 唐突にゴールドが起き上がりました。 ゴールド! ポポの思いが通じたですね! ゴールド! 早く逃げるです! でないと、あの女が! それなのに、ゴールドはちっとも逃げようともしません。 いや、それどころか、嬉しそうに入り口の方を見つめるではありませんか! 駄目ですゴールド、あの女の毒に惑わされないでです! そんな目で見ないで! ポポを、ポポを見て! 「ゴールドー!」 ゴールドの顔が嬉しそうに歪みます。 そんなの可笑しいですよゴールド。 ゴールドの口がゆっくり開きます。 どうして! もう何日も、ポポには何も言ってくれないのに! だめです。駄目ですゴールド。やめて。やめてぇぇぇぇぇ! 「香草さん!」 「会いたかった、ずっと会いたかったわ、ゴールド!」 ――ああ、わたしの幸福を引き裂きに、悪魔がやってきた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1683.html
158 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/07/01(木) 19 46 56 ID A9nOo7hF 屋敷に戻り一度部屋へ行こうとすると声をかけられた。 「やあ、姉さんの新しい召使さんかな?」 そこには藤川さんの弟が立っていた。スラッとしたモデル体型に端正な顔立ち。 髪は金髪の天然パーマだった。名前は確か… 「はい、自分は里奈様の執事の遠野と申します」 「知ってるよ。僕は弟の藤川英(フジカワハナ)。以後お見知りおきを」 「かしこまりました、英様」 「英様って…。まあたまには良いかな。…君、気に入ったよ。彼によく似ているし」 「彼…ですか?」 「ゴメン、こっちの話。それよりも一つ質問してもいいかな?」 「はい」 藤川英は笑顔を崩さぬまま俺に言った。 「昨日は何処へ抜け出したの?」 「……質問の意味がよく分かりませんが」 …落ち着け。ボロを出すな。相手の出方を窺え。 「そうかい?深夜、君が塀をよじ登って出ていったところを見たんだけどな」 「…………」 「ふふっ、身構えなくて良いよ。別に誰かに言ったりしないから」 「…………」 「ただ気をつけてね。桃花はそんなに馬鹿じゃない。もしかしたら君の脱走にも 気がついているかも。それを言いたかっただけだから」 「……分かりました」 「君は彼とどこか似ている。だからズルいかもしれないけど、助言したかったんだ。後は自分で頑張ってね」 それだけ言うと藤川英は立ち去って行った。 「…味方…なのか?」 とにかくもう見付からないようにしないと。 多分藤川英は"危険だから今日は行くな"と言っている。しかし… 「…行かなきゃならないんでね」 約束、そしてライムを守らないと。 「………あれ?」 また違和感。確か昼に聞いたのは……赤い……社長が殺されて……。 …俺は何を考えている?しばらく俺はその場から動けなかった。 夜11時頃。自室で準備をする。勿論ライムに会いに行くためだ。 あれからずっと考えていたが、やはりライムに直接聞いた方が良いと思った。 「……大丈夫だ」 聞いたら…聞いたら何かが壊れそうな気がする。 でも大丈夫だ。 俺は彼女の全てが大好きなのだから。そう自分に言い聞かせる。 「…今日は別ルートで行こう」 とりあえずライムに会いに行かなければ。全てはそれからだ。 一応、藤川英の忠告も考慮に入れて今日は裏から行くことにした。 159 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/07/01(木) 19 48 00 ID A9nOo7hF 深夜。静まり返った屋敷の裏口から裏庭へ出る。裏庭はあまり広くないが、 今日一カ所登れそうな場所を見つけた。その先は横道があるのでまず見付からないだろう。 「…………あった」 目的の塀を見つけ近づこうとすると 「こんな時間にどなたですか」 後ろから声をかけられた。瞬間、全速力で走る。 「逃げられると思っているのですか」 後ろから聞こえる冷たい声は明らかに桃花のものだった。 「はぁはぁ…!」 間違いなく捕まったらただじゃすまない。 裏口からのルートは諦めて正面突破に切り替える。 "里奈様を悲しませるようなことをしたら" 「はぁはぁ…!こんな時にっ!」 「排除します」 「っ!?」 間一髪だった。声がした瞬間に角を曲がる。 後ろを振り返るとまさに直前に走っていた場所に桃花の蹴りが牙をむいていた。 「有り得ないだろっ…!」 桃花のポテンシャルは神谷を大学の正門前で軽く退けた時に確認ずみだ。 まともにやり合っても、到底勝てる相手じゃない。 「はぁはぁはぁ…!」 とにかく逃げるしかない。ようやく門が見えてきた。後少しで逃げ切れる。 暗闇だったし、顔は見られていないはずだ。 「急げっ!」 塀を素早くよじ登り思い切りジャンプする。バランスを崩したが大丈夫。 そのまま振り返らず駆け出す。 「お待ち下さい遠野様っ!!」 「っ!?」 思わず急停止する。着地の音がしたので桃花とは20m程の差だった。 「…分かってたのか」 振り返らず応える。近付いてくる気配はない。 「私を誰だと思っていらっしゃるのですか」 「…有り得ないっつーの」 「…どうしても行かれるおつもりなのですか」 「ああ」 「何故…何故分かって下さらないのです」 「………」 「里奈様を満たして差し上げることが出来るのは貴方だけなのに…。私では……出来ないのに」 気のせいだろうか。桃花の声が震えているように聞こえた。 「…ゴメン」 最近謝ってばかりだな、俺。 「どうして私ではいけないんでしょうか。貴方が…貴方が羨ましいです」 「…桃花」 160 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/07/01(木) 19 50 20 ID A9nOo7hF 振り返ると目の前に桃花がいた。 「捕まえました」 「なっ!?」 足払いをされ体勢を崩した俺を、桃花は俯せに押さえ込んだ。地面に倒される。 「ぐぁ!」 そしてそのまま両腕を背中の後ろで押さえられる。 「油断大敵です」 「くっ…!」 抵抗しようとするがびくともしない。 「私が忠告して差し上げたこと、忘れてはいませんよね」 「………排除するのか」 「いえ、そちらは未遂です。しかしここは既に屋敷の外ですね。なので」 変な音がした。木が折れるような音。その瞬間 「っ!?ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」 無意識に叫んでいた。意識が跳びそうなほど激痛が走る。 右腕を見ると普段とは逆に曲がっていた。 「申したはずです。この屋敷から逃げ出そうとお考えなら、腕の一本や二本は覚悟してください、と」 「ぐぁぁぁぁあ!!ぐぅぅぅう!!」 「さて」 桃花はおもむろに懐からナイフを取り出した。 「っ!!」 今度は左腕。必死に庇おうとするが右腕は折れているため使えない。 「ああ、貴方を刺すわけではありませんよ」 「えっ?」 じゃあなんでナイフなんか出す必要がある。 「これは里奈様の"特別"を傷付けた私への罰です」 そう言うと桃花は自分の右腕にナイフを刺した。何度も、何度繰り返す。 「……あ」 止めるべきなのに痛みと震えで声が出ない。 無表情で自分の腕を刺し続ける桃花を見て純粋に思った。 狂ってる。 「何をしているの!!」 桃花の動きが止まった。門の前にはいつの間にか藤川さんが立っていた。 「里奈、様」 「…ふ、藤川さん?」 藤川さんは門の横にある受話器で誰かを呼んでいた。 「…ええ、怪我人よ!今すぐ来なさい!」 ここは屋敷の医務室。医務室がある屋敷自体初めて見たが、 ここには常に医者がいると聞いてさらに驚いた。 「とりあえず固定したから。痛み止めも飲んだし、後は絶対安静だからね」 「…はい」 「じゃあ桃花さんの方診てくるから。お嬢様、後はよろしくお願いします」 「ありがとう、黒川」 黒川と呼ばれた医者は隣の部屋へ去って行った。ここには俺と藤川さんの二人しかいない。 「…痛む?」 「まあ…。でもマシになったかな」 俺の右腕はギプスで固定されていた。 「…逃げようと……したんだね」 「………」 「…どこに行くつもりだったの?」 「……ライムのところです。今からでも、行かないと」 俺は立ち上がる。約束したのだから。 161 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/07/01(木) 19 51 19 ID A9nOo7hF 「…そっか」 「…すいません」 「何で謝るの?…行きたいなら行けば?」 意外な答えだった。藤川さんを見ると目には涙がたまっていたが、それでも微笑んでいた。 「…良いんですか?」 「アタシね、気付いたの。今まではね、亙を奴隷みたいにしてアタシの側に置けば、 いつか亙はアタシだけ見てくれるようになるって…そう思ってた」 「………」 「でも実際は逆だった。それにね、アタシが望んでたのは…こんなのじゃない。 もっと普通に…普通に…恋…人…みたいに…」 「…っ」 藤川さんは泣いていた。泣き声を上げず静かに。 「…だからね、もうおしまい」 涙を流しながら笑う藤川さん。俺は少しでも彼女の気持ちを考えたことがあったんだろうか。 「…ふじ……里奈」 「…えっ?」 藤川さん…いや、里奈がこっちを向く。 「…ありがとう。俺、里奈のこと全然分かろうとしてなかった。ゴメン」 「……変な人」 俺は純粋に嬉しかった。 里奈の気持ちは受け取れないけど、それでもただ嬉しかったんだと思う。 里奈が車と運転手を用意してくれたので、それでライムのマンションまで行くことにした。 「帰りはこれで連絡して。迎えをよこすわ」 奪われた俺の携帯電話を渡される。 「勝手にアタシのアドレス登録しておいたけど、良いわよね?」 「ああ。…色々ありがとな」 「とりあえず亙が帰って来るまでに荷物をまとめておくわ。まあ拉致してきたから、服と財布くらいしかないけどね」 時刻は既に午前2時過ぎ。早くしないとライムが不安がる。ただでさえ大変な時期なんだ。 俺が側にいてやらないと。 「わ、亙」 車に乗り込む俺に里奈が声をかける。 「ん?どうした?」 「……ううん、何でもない。気をつけてね」 「おう。じゃあな」 車は夜の闇に消えていった。 「…行っちゃったか」 屋敷の門の前でアタシは一人呟く。 「さて、準備しなきゃね」
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2263.html
532 :ウェハース第十三話 ◆Nwuh.X9sWk:2011/05/21(土) 17 41 56 ID IAfhlHSE 「えっ?」 僕の膝を枕にしていた小町がいきなりボリュームの大きい声を出した。 そんなに驚くことだろうか? 「痩せるって、なんで?」 「そんなに驚くことでもないだろ」 小町は状態を起こし、首を横に振った。 「私体型とか気にしないから大丈夫だよ」 少し声が焦っているように聞こえる。 何でだ。 「いや、小町と付き合ってからさ僕と小町の体型のギャップに驚いてるんだよね」 小町は物凄く華奢だ。それに対して僕はなんと言うか骨太って感じ。 二人して街を歩いているときにガラスを見ると、おおよそこの二人が付き合っているとは思えないほどに容姿に差があるのを実感する。 その時には、いつも下を向いてしまう。 隣で嬉しそうに腕を組む小町、そしてうな垂れている自分。 ますます嫌になる。 「そう……、じゃあ私も手伝うよ。 カロリー計算とか全部してあげるね」 「はぁ?」 小町は僕の上に座り、腕を僕の頭の後ろで組む。 息がかかるほどの距離。 小町は最近この距離で僕と話すことが多い。 なんというか、ものすごく密着してくる。 「昼ごはんと、運動量だけでも変えたら激変するからね」 「んー、じゃあ夜中走ろうかな」 「ダメだよ、いきなり走ったりしたらシンスプリプトになっちゃうから」 シンスプリプト? なんだそりゃ? 「じゃあ、歩きだな」 「うん。 何時ごろにする?」 付いて来る気か? 「小町も歩くの?」 「うん」 嬉しそうに、抱きついてくる小町。 胸が押し付けられて、石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。 艶のある黒髪からも、なんだか不思議な香りが……。 きっとスゴく高いシャンプーなんだろうな。 「喋りながら歩いた方が有酸素運動してるって気がするでしょ?」 「ああ、確かに」 533 :ウェハース第十三話 ◆Nwuh.X9sWk:2011/05/21(土) 17 43 18 ID IAfhlHSE 最近、やけにボディタッチが増えた気がする。 セックスの回数も減ったけど、それだって四日に一回はやってる。 何かと横にいる気がする。 それに、媚びるようになった。 今まではそんなこと無かったのに、最近は僕の意見を酌もうとしているのが分かる。 「私もそう思ってたの」 そう言って、僕の体のどこかに触れる。 どうしたんだろう、何があったんだろう。 「ねえ、キスしてもいい?」 「えっ、うん。 いいよ」 じゃれる様に、唇を奪う小町には一片の邪気も感じない。 小町のキスはとても長い。 絡み方と言っていい。 入念に、それこそ隙間をなくそうとしているくらいに丁寧に長い間をかけてする。 「んっ、はぁ、むぅ……」 鼻孔の呼吸で間に合わなくなるほど、一回一回を真剣にこなす姿勢は少し怖い。 「はぁ、ふふっ」 キスを終えた後は決まって潤んだ眼で微笑む小町の顔はスゴく色っぽい。 その後は短いキスを何回か繰り返し、抱擁の強さを微妙に変えたりして過ごす。 まどろむ様な優しい時間が過ぎるのは存外早い。 小町はその事を知っているのか、時間の経過を僕に全く知らせようとしない。 というか、僕に時計を見せようとしない。 いつまでも二人で抱き合っていたい、埋めあっていたい。 そういう感じに粘性を覚える。 小町は、きっと平沢や、武藤を嫌悪している。 「俺も言われたんだよね、神谷に近づくなって」 武藤から聞いた話だと、ものすごく怒ってるように見えたらしい。 言われたのは昼休憩の後、理由はおそらく、僕と平沢たちが昼食をとっていたからだ。 武藤には謝って黙っておくように頼んだけど、この分じゃあ僕の友達以外に飛び火するのも時間の問題かもしれない。 小町に抱かれるたびにそう思う。 そして僕と彼女の温度差も。 534 :ウェハース第十三話 ◆Nwuh.X9sWk:2011/05/21(土) 17 44 24 ID IAfhlHSE 「真治君、あの……」 「うん?」 媚びる様な、それでいて感知して欲しそうな目配せ。 「あのね、携帯を、その……」 「えっ、ああ、ドライブモードね。 はいはい」 小町は僕との時間を過ごすとき携帯の電源を切っている。 そして僕にはせめても、とドライブモードにするようにせがむ。 これが僕が時間に気づかない原因の一つ。 二人して隔離する、現実から僕と小町のいる部屋だけが時間も世間からも。 そういえば最近、『あのビデオ』の事は口に出さなくなった。 聞くことも無いけど、いつかはあれについても話をしなくちゃいけないんだろう。 僕たちの間には色んな物があって、関係が成り立っているように見える。 小町は自分から望んでこの関係に、僕は一度関係を終わらせようとした。 この差は絶対的だ。 いつか、いつか遠くない日に一度は全てを清算させる日が来る。 その日から僕と小町はどうなるんだろう。 途方も無いことだとは思わなかった。 自分は彼女と関係を持って、結ばれた。 だからきっと関係を見直す。 いつか、必ず。 「そろそろ、携帯を見ていいかな?」 「……、うん」 時計を確認するのに、了解を得なければならないなんて、どうかしてるのかも知れない。 携帯の電源ボタンを押して、ディスプレイを抱きついている小町の頭越しに見る。 七時過ぎか、四時から今まで三時間も抱き合ってたのか。 「小町、降りて」 「ん……」 袖をギュっと掴んで、小町は掴んだ袖の方へゆっくり移動する。 「帰るの?」 「うん? まあ、そろそろかなぁと」 「まだ、七時過ぎでしょ? 前は九時までいたんだから、もう少し……いなよ」 小町は袖を離して、腕を組んでくる。 この絡み方、最近多い気がする。 「九時に帰った時に言ったろ、母さんに釘刺されたって」 「う、うん。 分かった、ごめん。 じゃ、じゃあ家まで送るよ」 「いいよ、帰り道小町が独りになるだろ」 「そんなの、気にしないのに……」 正直、この時の小町を説き伏せるのが一番苦労する。 母さんに釘を刺されたのは本当だけど、今は小町のおかげで成績もいいから昔みたいに五月蝿くは無い。 ただ単に、僕が小町から離れようとしているだけだ。 535 :ウェハース第十三話 ◆Nwuh.X9sWk:2011/05/21(土) 17 44 51 ID IAfhlHSE 玄関まで小町は腕を組んだまま、僕はそれに何も言わない。 これ以上小町の機嫌を損ねると危ない気がするからだ。 「じゃあ、小町……」 「……うん」 名残惜しそうに、拘束を解く。 出来るだけ丁寧に靴を履いて、小町と対面する。 「明日、いつも通りに迎えに行くから」 「うん、用意して待ってる」 少し心が痛んだ。 本当は一人で登校したい。 そう思ったからだ。 「最後に、キスしてもいい?」 「うん、いいよ」 最後にまで、小町は体の接触を試みる。 多分、繋がっていないのではないかと、小町も思っているんだろう。 触れた瞬間、やんわりと体感する皮膚越しの他人の体温。 小町には皮膚が邪魔に思えて仕方ないのかもしれない。 でも、きっと皮膚越しじゃないと僕は火傷してしまう。 直感できる、それほどまでに差があるんだ、僕たちには。 「行くよ」 「うん、バイバイ。 また明日」 小町の家を出て、石畳の住宅街を一人で歩く。 心が窮屈な所からいきなり広い場所に出た気体みたいに一気に霧散する。 やけに高くなった空に息を吐く、もう秋も半ば。 そろそろ、駅が見えてきたころに三時間ぶりに携帯が振動した。 「小町だよな、やっぱり」 少しの間気づかない振りをしようか迷った後、また深く息を吐いて携帯の返信メールを打った。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1148.html
349 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 34 21 ID bqVkUjNx 幼い頃、俺は糸抜きが好きだった。 衣服のほつれた部分を見つけては、飛び出た糸を抜けるまで引っ張った。縫い目がするすると崩れていき、ほころびが生まれる。何故かは分からないが、それを見ると満足した気持ちになったのだ。 見つけては迷わずに引き抜き、怒られようがお構い無しだった。 幼い俺は、16歳になった自分がほつれを前に何もできずに立ち尽くしているのを、どう思うだろうか。 朝から席についてはいるが、何もしていない。教科書とノートは開いているが、それだけだ。こぼれるようにため息をつくと、前の席の人が脅えるように身震いをした。 ふと窓の外を見ると、7月の雄大で清々しい空に、ポツポツと雲が浮かんでいる。何か理由があるでもなく漂う雲は、どこか間抜けだ。 今度は教室を見渡す。誰もが、先生がつらつらと黒板に書いた文字を無我夢中でノートに写している。 あの佐藤や遊佐までもが必死で写しているのだから、もしかしたら人生の悩みを一瞬で晴らすような方法が書いてあるのかもしれない。 先生が何か質問は、と言ったので手を挙げる。 「ん、斎藤君」 「なんで浦和先輩は殺されたのですか?」 全てのペンが止まり、教室中から音が失われた。誰もが恐る恐る俺を振り返り、その中で遊佐が可哀相な物を見るような目を俺に向けている。 そうか、俺は今、同情してもらってるのか。ありがとう、みんな。 「保健室でゆっくり休んできなさい」 ありがとう、先生。 とはいえ、バカ正直に保健室へ向かう気にはなれない。 生徒会室へ向かう途中、なんとなしに携帯を取り出した。『不在着信99件 メール118通』と表示されたディスプレイをぼんやり見ていると、またメールが届いた。中身を見ることなく、ポケットにしまう。 「サイレントじゃなきゃやってられんな」音なし、バイブなしの状態をこれほどありがたいと思ったことはない。 浦和先輩の死体が発見される数日前に起きた小さな事件は、俺とくるみと窪塚さんの心の内だけにしまわれている。 ただ、変化は確かに顕在化しており、この携帯の状況がそのまま今の現状を表していると言っても過言ではない。 くるみの俺への依存は目に見えて悪化している。睡眠時だろうが食事時であろうが、可能なときはいつでも傍にいるようになった。一度、風呂にも来ようとしたが、さすがに止めた。 こうして学校などの強制的に引き離される場合は1分置きの電話、授業中はメールが送られてくる。罪悪感からなのか、俺はくるみを避けることも、拒絶することもできずにいる。 一方、窪塚さんはといえば、休み時間のたびに俺の教室を訪れては同じように訪れるくるみと牽制をしあう。 出来るだけ避けようとはしているが、効果がないこともいい加減分かってきて、今では受け流すようにしている。メールや電話もほぼ同じペースで、ここ数日の間に届いたメールの9割はこの2人が占めている。 残りの一割は佐藤との部活の話や、姉が友人を連れて近々帰省するだとか、その程度だった。 肝心の俺は、今まで通り、やはり何もしていない。“魔物の巣”に魂を置き忘れてきたのか、思いのほか図太く、それも冷静だ。授業も部活もかつての惰性で行ってはいるようなものだが、それでもそこまで支障はない。 350 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 35 02 ID bqVkUjNx 幼馴染・・・いや、元幼馴染が昔、チェス盤の端から端までワープをする、という技を思いついたことがあった。 思考的なゲームが一変、先攻を取った方が勝つ、という趣旨の分からないものになってしまったのを今でも覚えている。 現在の俺の状況は、言ってみればそんな感じだ。ノミの如く小さい俺のハートに、あの事件は衝撃的過ぎた。一気に容量限界を突破し逆の空っぽに戻ってきた、そんなところか。 薄々勘付いていたとはいえ、核心に触れるのを意図的に避けていたくるみの狂気的な依存。予想だにしなかった窪塚さんの一面。現状をもってしても遠くの話に感じてしまう。 同時に、これは全て俺が引き起こしたことではないか。そんなことばかり、ここ数日は考えている。 くるみにもっと優しく、1番に気遣ってやってればここまで狂わなかったのか。 窪塚さんの気持ちにもっと早く気付けば、彼女も壊れなかったのだろうか。それはすなわち、先輩も死ななかったという結果も生んでいたかもしれない。 「俺の、罪」感情のない自分の声に、少しだけ驚く。 ふいに、はるか昔、幼い自分が犯した罪が脳裏を掠める。 夏の日、親に抱かれた俺は、連れ去られるあの子を助ける術はおろか、力も持ち合わせていなかった。 遠ざかる車は夏の陽炎。ゆらめきと共に消える。 高き太陽は傲慢。地に這いつくばることさえ出来ない俺を笑う。 俺がその光景を知っているはずがない。そもそも、見ていたという確証もない。だが、脳は鮮明に、幾度となく俺に示す。 ━━忘れることなかれ、己が大罪。 鍵を開けようと差し込んだ時、中から声がした。 「開いてますよ」 そのまま引き返し素直に保健室へ行くという選択肢もあったが、俺自身、彼女には用があったので中へ入った。 声がしたからには当然声の主が、この場合は窪塚さんが生徒会室の中にはいた。奥の窓に寄りかかるようにして立っている右手の人差し指には、彼女が勝手に作った合鍵がぶら下げられている。 「窪塚さんもサボり?」 「りおちゃん、って呼んでくれなきゃ返事しません」 以前と変わらないように見える窪塚さんは、昔のままの屈託のない笑顔を見せる。俺は顔を逸らし、無言で入り口の横の棚に背を預け、床に座った。 「・・・意地悪ですね、先輩」メールも返してくれないし、と彼女は口を尖らせた。 「文字を打ってる途中でメールが来れば、誰でもその気をなくすよ」 「あの女からの、ですか」 何時の間にか、窪塚さんは俺の前に立っていた。蛍光灯を背に俺を見下す姿は恐怖を感じるものの、生憎この手の恐怖には身体が麻痺してしまっている。決して喜ばしいことではないが。 「人のことを“あの女”と言うのはよくない」 「・・・どうしてっ、どうして私のことは見てくれないのに、あの女・・・黒崎くるみばっかり構うんですかっ」 「家族だからなぁ」 351 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 35 28 ID bqVkUjNx 「家族っ・・・私が1番嫌いな言葉・・・・・」歯軋りをしながら、彼女は呟く。「私だって、私だって・・・」 毎度のことだが、俺は状況がまったく読めない。こんなとき、人生の攻略本を持つ父なら一発解決なのだろうが。 「せっかくだから、いくつか訊いておきたいことがあるんだけど」 所在なさ気に呟くと、窪塚さんは表情を明るくし、俺の前にしゃがみこんできた。スカートの中身が見えそうな体勢なので、視線を横に向ける。 「はい、なんでも答えますよ。まずはスリーサイズからいきますか?」 「いや、いい」そんなに目を輝かれても困る。「えっと、凄くバカらしくてマヌケなことを言うよ?」 「好きな体位でも訊きますか?」 「・・・窪塚さんは、その、もしかしなくても俺のこと」 「好きですよ」 あまりにもアッサリと答えられ、恥らう自分がアホらしく感じてしまった。「ああ、そう」 「私は先輩のことがだぁい好き。先輩のためだったら何でも出来ます。朝はまず優しくキスで起こして、それから先輩にスッキリしてもらって、ご飯作って掃除して・・・ あ、ワンちゃんのお散歩もしますよ。お弁当も作りますし、学校ではメール1つですぐ駆けつけますし、いつでも先輩をスッ」 「もういい、もういいから」これ以上聞くとスッキリという単語の意味を深く考えてしまいそうになる。 こうして笑っている彼女を見ると、わからなくなってしまう。 彼女は浦和先輩を殺した。あの時の会話から、なんとなくそれは予想できる。要するに、俺を振り向かせるため、俺が一番気遣う存在であるくるみと同じ土俵に立とうとしたということだろう。 なんとバカな真似だろうか。どんな理由があろうと、人の命を奪っていい理由にはならない。ましてや、それが俺のためといっては、先輩も浮かばれない。 「もう1つ、窪塚さんはいつから俺のことを?」 「ずぅっと昔、まだ私が私じゃなかった頃からです」 「・・・よく分からない」 「いいんです、私はわかってますから」 ━━先輩が忘れても、私は覚えてますから 小さく呟いた彼女の顔は寂しげで、遠い過去を見ているような憂いを含んでいた。それ自体に見覚えはないが、どこかで似たものを見たような気がした。 「・・・ということは、浦和先輩と付き合ってたのは」 「ああ、全部嘘ですよ」 あっけなく、まるで数学の解答を教えるように軽く言い放った。ああ、そこは3ですよ。そこはx=7ですよ。 「安心してください、アイツはもちろん、誰にだって私の純潔は捧げていませんから」 「なんで、そんなことまでして」 「先輩の傍にいるためですよ」艶やかな笑み浮かべ、俺の首へと手を回す。「捜すの大変だったんですよ?」 覆い被さってきた彼女の豊満なバストが目の前で揺れる。大きく開かれたワイシャツから、胸元がちらつく。 「せんぱぁい・・・」 気分が悪くなるほどの甘い声に、案の定気分が悪くなった。 「やめてくれ」思いのほか強くしがみ付く彼女を、立ち上がる勢いと同時にひっぺがしす。 手加減が出来なかった。尻餅をついた窪塚さんは立ち上がった俺を睨みつけるが、その瞳は俺より向こうを見ているのが分かった。 「あの女・・・アイツが、アイツさえいなければぁっ」 俺にも限界は、ある。 「いい加減にしてくれよっっ!!」 しかし、1つだけ叫んだ俺は、糸が切れた人形のようにその場へとへたれこんだ。 「くそっ・・・何で、なんでこんなことになったんだ・・・・?」 さっきまでは答えが出てたはずなのに、記憶に靄がかかったように思い出せない。 塞ぎこむ俺の耳に、残響のようにあの甘ったるい声が響いていた。 352 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 35 57 ID bqVkUjNx 「ったく、勘弁して欲しいぜ」 体育館へ続く渡り廊下に、俺は横たわっていた。 何故? 分からない。頭の横に座る佐藤に目をやると、彼はわざとらしいため息をついた。 「お前、熱中症で倒れたんだよ」 夏本番が近づき、体育館はまるで蒸し風呂のように暑い。ましてや、今日のように半面をバドミントン部が使ってると、窓が開けられないので余計に酷い。 そんな中部活をしていると、決まって倒れるやつが出た。それが今回は俺だったということか。 ほれ、と差し出されたスポーツドリンクを受け取ると、上半身を起こし、一気に口に含む。冷たい水が体中を駆け抜ける。 「最近おかしいぞ、お前。昨日も保健室行ったまま帰ってこなかったし」 「怪獣ホルスタインとの対決が思いのほか長引いてね」 「おお、なんか素敵な怪獣だな」 「変われるなら配役を譲ってやりたいね」夏の強い日差しの中、時折吹いてくる風が心地よい。 結局、俺がどうやって窪塚さんから逃げたのかは曖昧だ。気が付けば放課後で、何時の間にか帰宅していた。 ただ、今日こうして五体満足、体調万全でバレーに挑めているということは、上手いこと逃げ切ったのだろう。よくやった、昨日の俺。 休日の部活というのはそれなりに憂鬱だが、一度始めてしまえば楽しいもので、思わず熱中してしまう。その結果、熱中症にかかるというのは多少病的に、そして親父ギャグのように聞こえる。 だが、悩みを抱えているときの運動ほど清々しいものはないのだから、仕方ないと言えば仕方ない。 今日、窪塚さんは来ていない。浦和先輩の件で重要参考人として何度目かの事情聴取を受けているらしいのだが、今まで通り恋人だったから、という理由だろう。 確証はないが、彼女が警察に疑われるようなミスをするとは到底思えない。 ちなみに、佐藤も数日前に警察へと赴いていた。死体発見の前に浦和家を訪れたことで、白羽の矢が立ったのだ。 実際、浦和先輩の家を訪れたのは俺なのだが、先輩のお母さんは佐藤君と言い張った挙句、佐藤の顔を見てこの子です、と言い切ったらしい。天然かと思ってたがあれはただの呆けだな、そう佐藤はいきっていた。 その上、おばさんは同行していた少女の名前を『くるり』だと言っていたらしい。警察が気を利かせて、くるみでは?、と言っても意志を曲げなかったそうだ。 もしかしたら俺たちを庇っているのかもしれない、と考えたが理性が一瞬で却下した。そうする義理がない。 しかも運がいいことに、この近くに『くるり』という名の少女がいたらしく、警察はその子を捜索しているそうだ。その子からすれば、運が悪いにも程がある。いつか会えたらしっかりと謝りたいと思う。 また、携帯の破片や指紋などで割り出されるのではないかとも思ったが、俺たちに捜査の手が伸びることはなかった。 くるみの前で何気なく口にすると、破片は掃除機で吸った上で中身のパックごと回収し、指紋のつきそうな位置は手持ちのウェットティッシュで拭いたのだと、胸を張って誇らしげに話してくれた。 そう言うならもちろん、髪の毛の一本一本まで回収したに違いない。何故ウェットティッシュを持っていたのかと訊くと、そっぽを向いて黙ってしまった。 安心すると同時に、この時からくるみは異常だったのだと分かり、彼女を御せなかった自分を責めた。 「何があったかは訊かねぇ」佐藤がぽつりと呟いた。「くるみちゃんとりおちゃんが変なのは、流石の俺でも分かるよ。俺にできることがあったら言えよな」 「ああ、サンキュ」 気にすんなよ、と笑う佐藤に、何の感情も抱いていないことに恐怖した。 353 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 36 35 ID bqVkUjNx それからバカ話をしていると、背後から呼ばれ、振り向いた。そこには、大川俊先輩がいた。 「大将、大丈夫かい?」 先輩はいつも通りの笑顔で俺を覗き込んできた。 「すいません、もう大丈夫っス」 「ああ、無理しないでいいから、ゆっくり休んで」 俺の肩に手を乗せ、地面に押し付けるかのように無理矢理座らせると、隣に腰を下ろしてきた。 体育館のほうから足音がしたので見上げると、通路を通っていくバドミントン部の女子が、邪魔くさそうに俺たちを見下して通り過ぎていった。 「調子悪そうだね、最近」それを気にもとめずに、先輩は言う。「やっぱ、好紀のこと?」 「遠からずも近かからず、ってとこです」 「直接の原因じゃない?」 「ええ、まぁ」 確かに、直接ではない。なんとなく申し訳ない気持ちになった。 「なら安心だ」 「どういうことです?」佐藤が先を促す。 「もし好紀が原因で落ち込んでるとしたら、きっと、好紀はそんなの望まないよ。『テメェら、同情するなら生き返らす方法でも考えやがれ』ってね」 「ははっ、確かにキャプテンなら言いかねない」 佐藤に合わせて俺も笑った。「ただ、『同情しろよ、薄情者っ』とも言いそうっスよね」 「ああ、言う言う」 「好紀なら言うなぁ、きっと」 3人は笑うのが同時なら、ため息をつくのも同時だった。 「もういねぇんだな、キャプテン」 不意に、叔父さんと浦和先輩が重なった。立場は違えど、人が死ぬということは残される人にとって、根本的にはなにも変わらないのだと、ようやく理解した。 354 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 37 03 ID bqVkUjNx 先ほどとは逆方向から足音が聞こえてきた。しんみりしていたのと、さっきの経験から顔を挙げるつもりがなかったのだが、すぐ近くで足が止まったので、思わず目をやる。 「・・・なぁにしてんの」呆れ顔の遊佐がいた。 「なんだ、遊佐か」 「ちっ、遊佐かよ」 「なんだとは何よ、なんだとは」 「なんで舌打ちはスルーで俺に絡むかなぁ」明らかに佐藤のが悪い。 遊佐は少し息が上がっている。多分、午後からの練習に向けて、外でウォームアップしていたのだろう。 「よくやるねぇ、遊佐ちゃん」 「あたし、中途半端は嫌いなんです」営業スマイルで答える遊佐の額には前髪が張り付いている。 夏場なのだから必要ないだろうに、Tシャツが肌にくっつくまで汗をかいている。ここまで真剣に打ち込んでいるのは、部活内では遊佐だけに違いない。 遊佐は俺へと向き直り、人差し指を突き立ててきた。「アンタには負けたくないのよ」 「俺は勝負した覚えはない」 「アンタが覚えてなくても、あたしは覚えてるの」 いつか言っていた、大会でのことだろうか。 「っていうか、そもそもポジションが違う」 「そう、それなのよっ。アンタ、何で今になってポジション変えたの?あたしの努力が台無しじゃないっ。どうしてくれるのよっ」 「責任とって結婚しなさいよ」裏声でちゃちゃを入れた佐藤が蹴られる。 「どうして、って言われても、チームのためとしか」 概ね、間違ってはいない。 冬休み、及び3学期中の大会と練習試合で、我が校はなかなかの好成績を収めた。その中には、リベロとして新たな仕事をこなす佐藤の活躍も含まれていた。 しかし、そのことからますます俺の存在意義は打ち消され、正直、俺はやる気をなくしてしまっていた。くるみに励まされながらもやる気なく続けていたある日、俺は顧問の高橋先生にポジョションの変更を提案された。 確かに、現3年生はスパイクに関しては粒揃いだ。2年も、浅井とシバちゃんが、自分たちの代になれば佐藤がアタッカーに転向する事だって可能だ。 とどのつまり、この面子に俺は見劣りするのだ。肩を落とすほどにうなだれる俺を見て、先生は、セッターをやらないか、と訊いてきた。 アタッカーを大砲を打つ人と例えれば、セッターは弾を込める人。弾を込めなければいくら点火しようが城壁は崩せない。高橋先生はそう続けた。 うちの部活にセッターは大川先輩しかおらず、比較的丈夫で健康な彼だが、これから先に万が一がないとも言い切れないし、何より3年生だ。 また、先生は俺の右足首の障害も見抜いていた。それが原因で部活を休んだことはないし、練習中に痛みで抜けたこともない。 しかし、先生からすればスパイクを見れば一目瞭然らしく、今まで俺を試合に出さないのもそれを気遣ってくれた部分が大きいようだ。確かに、アタッカーと比べてセッターは脚への負担が少ない。 さまざまな要因から、先生は俺がセッターになるのを最良とした。俺に、断る道はなかった。 「大将の上達は凄まじかったなぁ」俺の存在が霞むくらい、と先輩はおどけた。 「まさか、足元にも及びませんって」 「またまたぁ」 肘で小突かれる俺を、遊佐が納得いかないという顔で見ている。 「でもなぁ、遊佐。コイツ、マジで努力してたんだぜ?先生に頼んで遅くまで残ってたりさ」 「知ってるわよ、そんなの・・・」 俯いてしまった遊佐に、誰もがかける声をさがしていたら、アイツが来た。 「なんだよ、遊んでんならさっさと帰れよ」相変わらず嫌な声だ。 355 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 37 31 ID bqVkUjNx 体育館から出てきたのは同じ2年生の浅井叶(あざい きょう)。浦和先輩のいない今、実質的なエースである。 部活中だというのに崩れない髪形にはどのようなワックスを使っているのか、訊いてみたいものだ。背が高いくて体格もがっちりしており、威圧感がある。 「ああ、悪いな、すぐ戻るよ」 「やる気ねぇなら帰れよ、邪魔だから」 コイツに関しては、俺のリミッターも緩くなる。ずいっ、と前に出る。 「アンタねぇ」遊佐が。なんでだ。 「なんだよ、女バレ」 「女バレじゃないっ、遊佐杏だっ」 「別にテメェの名前なんかどうでもいいよ」 「なんですってぇっ」 「遊佐っ、もういいよ」今にも飛び掛らんとする遊佐を制する。 「離しなさいって、一発殴んないと気が済まないっ」 「おちつけよ、遊すぁ」援護に来た佐藤の顔に裏拳が入る。それを見た大川先輩は一歩退いた。 「アンタは怒んないの!?憲輔っ」 「遊佐が怒るから、タイミング逃した」 「あ・・・ぅ」 途端に遊佐の力が抜けていく。抑えていた腕を離すと、顔を逸らして、ごめん、と一言言って走り去ってしまった。 それを見送ってから、気合を入れて浅井に向き直る。が、浅井はあからさまに呆れた表情を向けていた。しかも、佐藤や先輩までもが同じ顔をしていたので、どこか空回りした気分になってしまった。 「あれ?」 「アホくせぇ」 「先輩、そろそろ戻りますか」 「そうだね」 先輩は頷くと、先輩は佐藤を連れて体育館に入っていった。置き去りの俺と、呆れた浅井だけが残される。 「え、なに、この状況」 「アホくせぇ、ってことだよ」 振り返り、自らも戻ろうとした矢先、浅井は思い出したように立ち止まって振り向く。「そういや、くるみちゃんこっちに来てるのか?」 「物凄く今更だが、来てるよ」 「お前が毎日一緒に帰ってるの、くるみちゃんか?」 「ああ」 「そうか」 浅井は少し考え込んでから、口を開いた。「目はやっぱり」 「見えてない。治る見込みは、ゼロではないよ」 「・・・今度、お見舞いに行ってもいいか?」 「ああ、きっと喜ぶ」ただ、と続ける。「できれば、お見舞いじゃなくて、遊びに来てくれると嬉しい、くるみも」 「だよな」どこか幼げな、懐かしい笑顔があった。 356 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00 38 38 ID bqVkUjNx 浅井は俺の幼馴染だった。“だった”というのも、とあることから確執が生まれてしまったからだ。 当時から俺はどこか客観的で、浅井も今と同じくガキ大将タイプだった。家が近いこともあって俺たちは毎日のように遊び、くるみが訪れたときは3人で裏山やら川などで日が暮れるまで遊んだものだ。 浅井が引っ張り、俺がフォローする。そうやって俺たちの関係はいつまでも続くはずだった。 中学に入り一緒にバレーを始めると、より一層仲は深まった。浅井はぐんぐんと身長が伸び、運動、勉強、恋・・・この頃には、俺が勝てるものは1つもなかった。 それでも、地味な俺を親友と言ってくれる浅井が好きで、誇らしかった。 だから、あの日俺は、親友のために闘った。せめてもの恩返しと願って。 名門校への推薦が取れた浅井は、いつにもまして上機嫌だった。そんな浅井を見ていると、まだ受験の真っ最中であったにも関わらず、俺は祝ってやりたくなって街へと繰り出した。そして、不良に絡まれた。 スポーツでは右に出るもののいなかった浅井とはいえ、3人相手では歯が立たなかった。這いつくばる浅井を見て、俺は咄嗟にその前へと踏み出した。 そこからの記憶は曖昧で、ただとにかく殴られ続けたのは覚えている。我慢強さに定評のある俺とはいえ、キツかった。だが、親友のためと思えば、膝が屈することは決してなかった。 そのうち、騒ぎを聞きつけた人たちが警察呼んで、全ては丸く収まった。はずだった。 理由はどうであれ、喧嘩をしたことで、スポーツ名門校への推薦を取り消された浅井は失意に暮れた。俺はただひたすらに謝ったが、彼が口にした言葉は、あまりにも意外だった。 ━━なんで助けた。 なんでお前が俺を助ける。逆だろう。お前はいつも俺の陰に隠れてればいいんだよ。無能なお前を、俺が構ってやる。ただそれだけで俺の株が上がるのに。なに余計なことしやがる。憲輔のくせに憲輔のくせにっ。 以来、浅井とは今日まで、一度も会話をしていなかった。同じ高校を受けたことも、入学式の当日まで知らなかったぐらいだ。 結局、浅井は俺を友達だと思っていなかったのか、自暴自棄になった結果なのか、それはわからない。今の今まで俺だってコイツを嫌っていたのだ。 どちらだろうと、今更変わらない。それでも、この会話はなにか、きっかけのようなもになる、そう思えた。 「い、一応言っとくけどな」 背を向けたまま、浅井が言う。声は上ずっている。 「俺は、まだ、あの子のこと、好き、だからな」 「あぁ、そういやそんなことを昔・・・」 ふと思い出す。河川敷、芝生の公園、夏、爽やかな風、くるみの誕生日。浅井がくるみのことを好きだと言い、くるみも頷いたあの日。 「よく覚えてんな、お前」 「俺は、本気だよっ」勢い良く振り向いた浅井は、顔を真っ赤に染めていた。 「くるみに言えよな、叶」 さりげなく言ったつもりだが、浅井・・・叶は呆気に捕られた顔をしていた。 一瞬の間が開き、笑う。 「わかってるよ、憲輔」 不器用でぎこちない光が、俺たちの世界に射す。 ほころびが、手には負えない大きさになっていることにも気付かないまま、俺は笑っていた。